2008年06月11日

めがねを踏んだ

ちょっとした不注意でめがねを踏んづけてしまった。
フレームが曲がり、レンズも片方外れてしまった…。

無理やりはめ込んでかけなおしたら・・・


前よりよく見えるようになった


なぜだろう  
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2008年06月11日

ウエタジャパン

植田監督のJAPANが五輪切符を手にした。
実に16年ぶりなのだそうだ。

おととしの秋、植田ジャパンが沖縄で合宿をした。
そのとき植田監督が言っていたことをあらためて思い出した。

「今はこれでいいんです。北京の年に100%に持っていければいいんです」

そのとおりにする指揮官というのはスゴイ。


監督を引き受けたときから、さまざまなことを変えた。
食生活を改めさせた。
練習方法を改め、「超」がつく日本の一流選手に沖縄の合宿で毎日サーブカットばかりさせた。
越川など、本当にサーブを受けている姿ばかりを覚えている。

そしてそのころから頼りにしていたのが荻野正二だった。
今回の最終予選でも、頼れるベテランがチームのムードを変えた。


植田監督は歌がうまい。
もっともご本人曰く

「2曲しか持ち歌はない」
のだそうだが、歌う歌が奮っている。

ゆずの「栄光の架橋」なのである。

   誰にも見せない泪があった
   人知れず流した泪があった
   決して平らな道ではなかった…
 

まったく今回の軌跡そのままだ。
ただ、一部違うところもある。

   何度も何度もあきらめかけた夢の途中

監督はあきらめたことなど一度もないだろう。
あとは「栄光への架け橋」をかけるだけ。

オリンピックの組み合わせも発表された。
日本男子の緒戦は、イタリアだそうである。
申し分ない筋書きである。


北京のコートで、植田監督が「感動で」倒れてしまう姿を見てみたい。

  
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2008年05月29日

カーテン

東京の杉並区役所が、建物の八階だかからネットをおろして、ミドリのカーテンを作っていた。カーテンの材料はゴーヤである。これ沖縄でやらなきゃ
  
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2008年05月28日

横綱の喧嘩

朝青龍と白鵬が、千秋楽であわや殴りあいかという
緊迫した雰囲気だったという。

そのニュースを見て、「草原のオオカミ」で読んだ内容を思い出した。

お二方ともにモンゴルの出身である。
モンゴルの遊牧民の血を引いておらレル。

「草原のオオカミ」の作者である姜戎氏いわく、
中国の歴史上、農耕民族である漢民族と、遊牧民との融合がうまくいったときに
強い国家になっているという。

遊牧の民に流れる血・・・。
オオカミの性質、「狼性」はなおらないという。
絶対に服従しない。懐かない…。

だから

朝青龍と白鵬に、国技を強要してはいけないのである。
農耕の地、ブルガリアの琴欧州のようには行かないはずである。
外国人力士を受け入れてしまった時から見えていた宿命である。

そういえば、本の中に「龍」の姿の話も出ていた。
龍の絵をよく見れば、顔は明らかに「オオカミ」がベースになっているという。
そう読んで、龍の絵を見たら、本当に「オオカミ」に見えてきた。
一度ご覧あれ。

http://www.s-hoshino.com/f_photo/okinawa/oki_054.html





  
Posted by 土方 浄 at 21:43Comments(4)TrackBack(0)スポーツ

2008年05月23日

神なる…

姜戎の「神なるオオカミ」を読んだ。
忘れていた自然な感動を受ける作品だった。
こどものころ、シートン動物記を読んだ記憶が蘇ってきた。

時代の流れと、変わらなかったはずの自然…。
そういえば日本にもかつてニホンオオカミがいた。
彼らが滅んだことで、生態系が乱れ、自然にオオカミをもう一度放そうという計画も動いた。

人間が自然を滅ぼす。
最近は温暖化の話が注目されているが、もともとはそんな大きなスパンの話ではないはずである。

食物連鎖によって保たれていた微妙なバランスが
人間が持ち込んだ外来生物によって大きく変わってしまう。
ヤンバルの森もまさしく人間の影響で大きく姿を変えた。

塩沼亮潤さんの書いた「人生生涯小僧のこころ」も読んだ。

奈良県の金峯山寺で行われ、寺の1300年の歴史でそれまで
たった一人しかなしえなかった「大峯千日回峰行」を三十代でやり遂げた人である。

片道24キロの山道の往復を1000日続ける。
挫折したら、持っている短刀で自決する覚悟で立ち向かうという壮絶な荒行である。
マムシに咬まれても、山道で足を踏み外しても「アウト」である。

それだけではない、9日間「飲まず、食わず、眠らず」という修業も成し遂げた。

塩沼さんの経験を呼んでいると、自然と一体化するというのはどういうことかを感じさせられるし、
「無垢」という言葉を改めて思い出させた。
勿論ご本人は、こんな単純な感想を持って欲しいとは思っておられないであろうと思う。


しかし、

人間誰でも欲の垢にまみれている。

「自分がかわいい」し、「儲かりたい」「もてたい」「出世したい」「目立ちたい」「名を残したい」
「金を残したい」「人にいい顔をしたい」・・・

そんな気持ちは持っている。
だが、そんなものを持っていてできる修業ではない。
自然は「煩悩」があっては、挑戦者を受け入れてくれない。


勿論、塩沼さんの真似ができるわけではないし、それは塩沼さんが与えられた定めなのであろう。
人間ができることって限られている…というのも当然である。


「よくなりたい」

は人間として当然の願いなのであるが、

「よく」

をどこに持ってくるかが問題なのである。

人間個人なら小僧のこころに戻れても、大きな組織になると
ひたすらまい進するブルドーザーになってしまう。
エコを標榜する時代、一生懸命穀物で新エネルギーを作っている先進国。
飛び出した釘を叩いて直しながら、反対側に突き出した釘の頭に困惑する。

「この辺にしておこうや」

とみんなでいう時代なのではないか。  
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2008年05月02日

いやはや

今年は我が家のレモンがひとつなりそうである。
今年は我が家のアスパラガスが2本収穫できた。
今年は我が家のマンゴーが3つぐらいはなりそうである。






ということで



これでは、食っていけない。  
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2008年04月26日

聖火リレー

聖火リレーは・・・



いらないね  
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2008年03月26日

1対0

初戦は、こんなもんでしょう。足にこだわった相手の動きに、嶺井くんが肩で見せ、西銘くん初め内野陣が落ち着いて対応しましたね。ダブルスチールを含めて、ひとつでも決まっていたら負け。比嘉監督は目があった瞬間に「すいませんでした」と謝ってましたが、最初はこういう勝ち方の方が、後でピリッとしていいです。初回に簡単に得点し、配給を変えられた途端に打てない打線には、いいお灸でしょう。それより守りの固さは安心感があります。つぎも行って貰いましょう〓
  
Posted by 土方 浄 at 18:22Comments(4)TrackBack(0)エンターテイメント

2008年03月26日

神戸

久しぶりの神戸である。あと二時間ぐらいで沖尚の試合が始まる。 神戸のオヤジはお洒落である。ハンチングを被り、デニムシャツを着たオヤジには、鼻の下の髭が似合う。だが、全身パーブルオジサンには驚いた。帽子も紫、シャツもバッグもコートも全部紫。アメジストだろうか、左の指に3つ。右に二つ指輪が輝いていた。
ここまで一色で統一したひとをみたのは、全身緑のお茶屋さん以来である。
さあ四時間後。アルブススタンドは何色に染まるのか。
  
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2008年02月29日

見上げてごらん


どうも最近、怒りをどこにぶつけていいかわからないことが多すぎる。
昔は、空を見上げて星空を見ると、なんだか「ほっ」としたものだ。

だが最近は星の間をゆっくりと動く物体がある。
「人工衛星」である。

郊外に行って夜空を見上げると、とりわけよく分かる。
夜空にまで「人の作ったもの」が飛んでいる。

サイバースペースに生きる人が増えるのもそんな背景があるのか。





  
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2008年02月28日

分からないなぁ

右目が見えにくくなった気がしたので、
また視力が落ちたのかと思い眼科に行った。

さまざまな検査をした結果、右目の瞳孔が小さくなっているという。
センセイ曰く

分からないなぁ

分からないので、紹介状を書くから脳神経外科に行きなさいという。

がーん

これは悪い病気に違いない…。
一瞬、最後のときには、「自分の人生が走馬灯のようによぎる」なんて話を思い出したが、
それも行きすぎだと思い、とりあえず紹介状を持って脳神経外科に行った。
血管の音を聞き、瞳孔を確認し、センセイは

分からないなぁ

分からないから、脳ドッグを受けなさいという。
いろいろなドッグがあるものである。
「まあ、見たところ特に症状が出ているわけでもないので、経過観察かな」…という。

あんなスポンジみたいなものをはさんで食べたら、どんな感じがするのか、
タラの白子と一緒かなんてコトを思いながら病院を後にしたが、そこで再び…

がーん

医者が分からないというのは、かなり怖いことではないか。
これは大変だと思いつつ、きょうはトリメシを食べることにした。
この脈絡のなさが、すでに症状の一環なのか…さて  
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2008年02月27日

「明恵・夢を生きる」という本がある。
先日なくなった元文化庁長官・河合隼雄さんの書だ。

紀伊の國…今の和歌山県生まれの明恵は、60歳で亡くなるまで、
実に40年にわたって自分が見た夢を書き続けたという。

一そもそも夢というのは、見るたびに全部覚えていたら
相当わずらわしいと思うのである。
しかし、妙に生々しい夢があるのも事実である。
だからフロイトも研究したのだと思う。

一時期私も夢を記録しようと思い、トライしたのだが、
朝起きたら、すっかり忘れていた。

だが、今また自分の夢を記録しようと頑張ってみている。

強烈な夢を見(たと思っている)たあと、夜中にハッと目覚めたとき、
記録しようと頑張るのだが、眠気に勝てない。
いったん眠ってしまうと、もうその夢の記憶は消えている。

「夢」は現実の矛盾を解消するために見るものだという話を聞いたことがある。
矛盾を矛盾のまま抱えてしまっては、居場所がないからである。
いくらか違う部分をテキトーに調整する人間のファジーな部分が「夢」だというのである。

だがタマに悪夢もある。
夢で仕事をしている「夢」ほど悲しいことはない。
朝起きて出かける場所も「そこ」だからである。

だが、夢の中でごくたまに「会いたい人」に会えることもある。
「会えないはずの人」に会うこともある。
夢の中のその人は、笑っている。
たいした会話があるわけではないのだが、笑っている。

そんな夢を見た翌朝は、なぜかすごく嬉しいのである。




  
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2008年02月25日

司会

かなり久しぶりに、披露宴の司会をやった。
司会というのは緊張するものである。

2人や3人の前では、人はそう緊張するものではない。
逆に1000人とか2000人の前に立つと、あまりに多すぎて緊張する場所さえない。
50人とか100人とかそういう状況…顔が見渡せる状況が一番緊張するのである。

先日の披露宴は、それに加えて同業者が多数列席しているという状況にあった。
これほどいやなものはない。
自分が逆の立場であるときにそうであるように、気になって仕方がないのである。
素直にお祝いの席を楽しめない自分が、「会場にいる」のである。

いやな性格であるが、商売柄しかたがない。
それがわかっているから、会場にもそういう人がいるだろうと思ってしまうのである。
しかし、そう考えていると、前に進まないのでひたすらしゃべるのである。

最近の結婚式には仲人がいなくなった。
かわりに「人前式」などというものが現れた。
北海道では伝統的に「発起人会」が主催して披露宴を開いてあげるから
仲人はいないことが多いらしいが、全国的傾向であり、首都圏では仲人が立つ披露宴は1%しかないそうだ。

本来仲人というのは「月下氷人」とも呼ばれ、組織の上司が勤めるものと
サザエさんの時代から決まっていた。
だが、一説によると終身雇用制が崩れ、明確な主従関係が薄れてきたあたりで、
仲人の存在も消えて行ったのだという。

以前、友人の披露宴の司会をやったときのこと。
彼の仲人さんがユニークな人であった。
大体仲人の〝手にかかった〟新郎は「優秀な成績」で学び舎を後にするのだが、
「お情けで」卒業させてもらい、「さんざん滑った末」に大学に「拾ってもらっ」た…と
新郎の紹介を行った。会場爆笑である。

人間すべてが、優秀な成績で学校を出、期待される青年であるわけではないし、
見てのとおりのお似合いのカップルではない。

だが、こういうことをさらっといえるには、よほどの信頼関係ができていることが前提である。
それを司会者がやるわけにはいかない。何しろコトは一生モノである。

司会というのは緊張するものなのである。


  
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2008年02月18日

携帯とんだ

「ケイタイ駄目飛んだ」
曲 中山心配
詩 そのうち無情


ケイタイ飛んだ  メモまで飛んだ
メモまで飛んで  こわれて消えた


雨 雨 降るな ケイタイ落ちた

住所録消えた 出さずに消えた
登録してすぐに こわれて消えた


水 水 溜まるな  ケイタイ落ちた

ケイタイ飛んだ 液晶も消えた
液晶消えて  画面に水出た


雨 雨 降るな ケイタイ落ちた

  
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2008年02月15日

短時間

打ち合わせのためにヤンバルに行ってきた。
便利な時代である。
高速に乗ったら1時間そこらでついてしまう。

打ち合わせの時間は45分。

また高速に乗って那覇に帰ってきた。

帰ってきたらパソコンに
「お疲れ様でした」
というメールが入っていた。

便利な時代である。
  
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2008年02月13日

いやあ

しばらくです。
何かと忙しく、日記に空白が続いておりました。

やっと、時間も出来、
昨年から習い始めた「おきらく亭ジョー好」としての落語も少しずつ勉強をしております。

それにしても笑えない事件ばかり。
笑うことが罪悪のように見える世の中にならないことを願いたいものです。

書くことが出来るようになったら、とたんに悪質な米兵の事件。
破廉恥というよりひどすぎます。少しずつ容疑者の横顔が見えてくるようになって、
かれらはここに「住んでいるつもりではない」ことが見えてきた気がします。

犬だって、自分の家の周りは汚しません。
住んでいる場所と思っていないから、悪質なことをやるのでしょう。
被害にあわれた子の心の傷は、想像することさえ出来ません。

してはいけない基本的なもの。
しなくてはいけない基本的なこと。

何をやっても、リーダーが代わっても、何も変わらない現状。
向こうに頼むのは、もう無理でしょう。


  
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2008年01月04日

我笑

あけましておめでとうございます。

今年はネズミ年。
小惑星が地球に激突して恐竜が絶滅したあと、
ネズ公のご先祖様が、非常に頑張って哺乳類の時代の基礎を築き、
現在の地球の基礎を築いたそうだから、
ネズミは大変ありがたい生き物なのである。

ネズミさまに肖って、今年は次に向けた基礎を築く年にしたいものだ。

久々に正月を本土で迎え、箱根駅伝の中継を見ていた。
何と今年は、前年優勝の順天堂、大東文化、東海大と、
史上初めて3チームが襷をつなげなかった。

駅伝と言うのは過酷なスポーツである。
チームが、1年間の全てを、その二日間にかけてきたとしても、
その日に「たまたま」が起こってしまえば全てがパーである。

一人がどんなに優秀であっても調子がよくっても、
一人が絶不調で倒れてしまったら、そこで「棄権」=「記録なし」になってしまう。
しかも、全区間にそこそこの力を持った選手を集めなければならない。

スタートの第1区を見ていたら、アフリカ勢【留学生】だらけで、オリンピックかと思った。
確かに選手を補強するのにもっともたやすい方法だろうが、
大学生の駅伝ということを考えると「ファウル」じゃないかという気がする。

高校バスケットにしても、外国人留学生が当たり前のようにメンバーを占めている。
ラグビーの日本代表には、
日本国籍を取得したニュージーランドやトンガの選手が含まれている。

「勝つ」ってなんだろう。

勝つことと、心に残るプレーは違う。
優勝したひいきのプロ野球チームだって、
優勝した年ではない年の活躍のほうが記憶に残ることがある。

勝てば良いというものではない。
学力テストも同じことだと思うが、変に「最下位脱出」とかいう目標を立てると、
本当に大切なものが見えなくなってしまう。

日本では、科学の実験がとにかく減ってしまっているのだという。
その背景には「危険だ」「リスク管理しよう」「残酷だ」などという声があるらしい。
鉛筆を削る安全剃刀も、フナの解剖も、塩酸や硫酸を使った実験も極端に減っているという。

自然が少なくなり、大都会で「犬」と「豚」の区別がつかない子供が現れたというのは10年ほど前の話。
沖縄でも那覇近郊は、本土の下手な小都市よりよほど「東京的」になった。

「危険」が分からなければ「安全」はわからない。
犬に悪さをして噛まれなければ、犬との接し方は分からない。
こどもは残酷なものだが、残酷さの中から命の大切さを知っていく。
本だけで分かるのなら、みんなスティーブン・ホーキンスやリサ・ランドールである。

フクロウのエサに…、
タカのエサに…、
マングースのエサに…、
キツネのエサに…、

ネズミは散々な目にあってきたが、いまや都会の地下の世界を制している。
奴らはジュウナンなのである。
だからといって、あまりドブネズミとは出会いたくないとは思うが。

それはそうと…

「勝てば」いいってもんじゃない。
それは歴史が証明している。





  
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2007年12月29日

年内終了

暫くブログからもご無沙汰だった。

せっかくインフルエンザの予防注射をしたのに「風邪」をひいた。

今年もイノシシのように走ってきたが、果たしてよかったのかどうか。
毎年、この時期になると反省するのである。

反省だけならサルでも出来る。

♪そんなことをただ繰り返して~♪

「大きな玉葱の下で」の歌詞が脳裏をよぎる。

大晦日に放送される「ROAD TO J」「おきなわスポーツカウントダウン」の編集。
NAHAマラソン中継。

12月は「師走」ではなく「自走」である。
年が明ければ、バスケットボールの中継と特番が待っている。

来年は平成20年だそうである。
ネズミ年である。

目出度さも、チューぐらいなり ネズミ年   お粗末


  
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2007年12月12日

たそがれ

最近、ジョギングを続けている。
車で通ると見過ごしてしまうようなことも、走っていると目に入ってくるものだ。

空港の滑走路の延長線上で、
飛行機が離陸していくのをずっと眺めている人たちがいた。

最初は子供化と思ったが、近づいていくと、おじさんだった。


快晴の空の下、巨大なジャンボ機が
ゆったりとその巨体を大空に浮かべる姿を、身じろぎもせずにみつめている。

羽ばたけなかった自分の思いを、飛行機にダブらせているのかと思った。

後ろで海鳥が、小さく啼いて飛んでいった。  
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2007年11月30日

たむろ

たむろ【▽屯】
一ヶ所に大ぜいの人が集まることを「たむろ」するという。
この単語のニュアンスは、英語では表現しにくいかもしれない。

今で言うところの「たむろ」は、

「無意味に集まって、ボーっとしている、怪しいまた危険なにおいのする」集団を形成する。

という意味ではないか。



「たむられる」のは、周囲の人々にとって、確かに気味の悪いものである。
何もしないけど、集まるのがイヤという点では、
ムシが固まっているのと同じことである。

たとえば、ヤスデなどは確かにキミが悪いが、こっちに対して何かするわけではない。
何かするわけではないが、そこにいられてはこっちの精神衛生上よろしくない。
何をするか分かったものではないからなのである。

だから、「たむろ」は禁止なのである。

ちなみに辞書によると、明治時代には「たむろ」とは
特に巡査の詰めている所。駐在所。
のことであった。

今は、あまりに長く「たむろ」していると、「たむろ」からおまわりさんがやってくる。


  
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