2007年10月25日

読み違い

インターネット時代がさあ始まろうとするとき、
ITの専門家が盛んに言っていた。

これからぺーパーレスの時代がやってきます



しかし、プリンターが吐き出す紙の量は、以前の数倍になった。
間違った原稿は、すぐ画面上で訂正して再び吐き出すようになった。
紙の量は尋常ではなくなった。

あの時ペーパーレス時代が来ると断言した専門家…

責任者出て来い!



  
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2007年10月18日

逆転

入社間もない頃は、随分と無茶なことをした。
夜勤が多かったし、収録番組もあったから、
仕事終わりが午前1時とか2時ということもたびたびだった。

それからカクテルに行く。
店はいつだって、おなじ色合いにおなじ照明だから、外の状況など分からない。

大騒ぎして外に出たら、ランドセルとすれ違うなんてことはしょっちゅうだった。
ランドセルとすれ違ったときは、心が痛んだものである。

ああ、何と言う大人になってしまったんだろう>

だが、また時間が来ると、おなじ色合いと照明の中に溶け込んでいくのである。

最近、早朝に走るようになって、「ランドセル」の立場になった。
朝、歩道に大の字になって寝ている人を見たり、ベンチで寝ている人の姿に出っくわすと、
妙な気分になる。

やはり「夜」の生き物と「昼」の生き物は違うのだなと実感したのだ。

夜行性の生き物は、目が大きくなる。
また、音で相手に悟られては困るから、音を立てない。
ふくろうなどは好例である。
奴らはでっかい目で獲物を見つけ、羽ばたきの音をたてずに標的を捕える。

夜行性の人間も同じである。
目を真っ赤に充血させて、次の店を探すし、
音で同居人を起こしたり近所に「あそこの人はまた朝帰り…」と思われるのは嫌だから
音を立てない。

「朝昼」型の生き物は、自分とおなじ集団とたえずコンタクトを取るため、よく啼く。
「朝昼」の人間も、自分とおなじ集団なのだという意識付けをするために、とにかく挨拶をする。

ランドセルと出会ってしまった夜の生き物は、
間違って浅瀬に浮かんできてしまった、深海魚みたいなものなのである。
光の中で見る深海魚は「怪異」である。

あの時、ランドセルを背負った子供の目には、私たちは「深海魚」だったに違いない。
だが、「深海魚」も年を経ると、「金魚」に変身するものなのである。
変身前の姿を見ているのは、コテツだけなのである。

  
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2007年10月17日

いつまで

きょうは、全国ニュースで長々とカメをやっていた。
正直うんざりである。

朝青龍のときもそうだったが、
こういう話題は、スポーツニュースに一番相応しくない。

ここ数年、スポーツの置かれている社会的地位が高くなったのか、
それとも、ニュースが全てワイドショー的になったのか、
スポーツのニュースが、スポーツそのもの以外の取り上げられ方をするようになった。

第一報は良いのである。

しかし、こんなにしつこく出てくると

五月蝿い


そこで・・・

カメの諺である(なんでだよ)

大助は専念亀は慢年 

亀の攻より年の功  

スポーツ紙は「亀裂」という漢字を当てはめていた。

だが、仏教の教えに由来する、こんな諺があるらしい
信なき亀は甲を割る  
鳥にくわえてもらって空を飛べた亀が、話しかけないという約束を破ったため、トリが口を開け落ちて死んだ。
約束事を破ると必ず報いがあるという意味だそうである。

昔の人は、ちゃんと知っていたのである。



  
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2007年10月16日

走る

最近、毎朝のジョギングを日課にしている。
正直、自分でも絶対続くまいと思っていたので、意外である。

ある朝、えらく驚いたのは、長袖に長いトレパン、
軍手をつけた上に、顔面が完全ガードできるセルロイドのひさしのついた被り物で
突然角を曲がってきた「人間?」に出っくわしたときであった。

人気のないところで会ったら絶対宇宙人である。

犬に自転車を引かせているおじさんを見たこともある。
「南極物語」かと思った。

出張で神戸に逗留していたとき、
きょう帰沖という日の朝、飛行機の時間まで間があったので、街中を散歩した。

出る前、テレビを見ていたら、
「神戸の町でライオンを散歩させている人がいる。探して欲しい」
という趣旨の番組をやっていて、芸能人があっちこっちで聞きまわっていたが分からなかった。


町に出ると、前から犬を散歩させている人が来た。
確かに犬だが、首の回り以外の毛を全部剃っていた。
ライオンのタテガミである。
「これがライオンなんだ」
と思った。

だが、周囲にその驚きを共有している人は見当たらなかった。
これが都会なんだなあと思った。


そんな中…


先日、ネコを散歩させている人を見た。



  
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2007年10月15日

風林火山

流行に敏感なこと、風邪の如く、
個性を出したがらないこと、林の如く、
文句を言うこと、火の如く、
動かざること、山の如し


最近の子供は扱いが難しい。
もっとも、それも大人が原因だけれど…。  
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2007年10月15日

観光地

去年だったか、久方ぶりに温泉地の代名詞「熱海」を訪れた。
その昔は新婚旅行のディスティネーショントップ5にも数えられたという繁栄振りは
とても見て取ることは出来なかった。
旅行の形態が変わってしまったんだなあ…と改めて実感した。

いま、企業丸抱えの団体旅行などというのは、殆ど影を潜めた感がある。
温泉、団体旅行とくれば、宴会、芸者、飲めや唄えの大騒ぎ…と決まっていた。

白夜の北半球でもない限り、昼間は明るく、夜は暗い。
町は二通りの顔を見せる。
夜の街にはコテコテに着飾ったネオンと、
来る人をみな吸い込んでしまうブラックホールばりの罠が、
いたるところに仕掛けられている。

那覇大綱挽きが終わった直後、そんな歓楽街で17歳の少女が命を失ったという。
風俗店での火災である。

以前、夜回り先生こと水谷修さんにインタビューしたとき、

「来るたびに子供たちの目から力が抜けていっている」

と嘆いておられた。

きれいと思った夜の街を朝見たらどう映るか。
きれいと思った町は汚れた、ゴミの町…
朝の太陽の光にうそはつけない。


これも水谷先生がよく話すことだ。

今回、悲しい出来事がついに太陽の光の下に出てしまった。
観光とは易経の

「国の光を観る」

から来ているそうだ。

沖縄の光が何なのか、もう一度みつめなおさないとしっぺ返しが怖い。
失われた命が、警鐘となってこの時代に生きるように、生かされるように祈りたい。  
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2007年10月14日

甲羅が取れたカメ

ワタシは甲羅が取れたカメは見たことがない。

オサガメという海がめの仲間は、他の亀のような甲羅ではなく、
堅くなった皮膚なのだそうだ。
http://image-search.yahoo.co.jp/detail?p=%e3%82%aa%e3%82%b5%e3%82%ac%e3%83%a1&cop=&ib=1
かなりでっかいカメらしい。
クラゲを食っているそうだ。


だが、世の中にはいるらしい。
態度がデカイわりに、やることの小さいカメである。
ヒトを食って生きようとしたらしい。

あちらこちらで言われていることだが、チャンピオンになるには『王者の品格』というものがいるはずだ。
見ていて腹立たしくなるリングは、初めてだ。
もうひとつのカメのときも、「まさか…」というのはあったが、リング上での「それ」は感じなかった。

リングというところは、ひとつ間違えば相手が「死」に直面することがある
激しいスポーツをやる舞台である。
だからこそ、選手は試合が終わったとき、互いに相手の健闘をたたえ、
腫れあがった顔を見合わせて、互いに抱き合う。

「勝てば何をしてもいい」なら、スポーツには入らない。
今後もそれがスタンスなら、別の世界でクラゲでも食っていて欲しいと思う。

とうとう甲羅の取れたカメになってしまった。

  
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2007年10月11日

歴史の証人



この方、瀧正男さんとおっしゃる。
御年86歳。
栽弘義前沖水監督の恩師である。

中京商業(現・中京大中京)の監督、部長として甲子園で優勝すること2回、
中京大学の監督となってからは、リーグ戦に優勝すること実に28回。
全日本大学野球の頂点にも輝いた。

先日、ヤクルトの古田選手(監督)が引退したが、
立命館大学時代、メガネであったことがネックになってドラフトにかからなかったそうだ。

瀧さんも現役時代、メガネのキャッチャーだった。
はるか前の時代であるし、前代未聞のメガネの捕手。
さらに周囲は不安がった。

そして受けた投手の名が野口二郎。
(中京商-法政大-東京セネタース-阪急)
延長28回、344球を投げて先発完投したこともあるそうだ。
プロに入り、シーズン40勝を含む通算237勝。

まさに怪物である。

ご本人も
「今まで見た投手で一番速かったのは、野口」
と言い切っておられた。
「恐ろしく」速かったというそのボールを受けた手を見せていただいた。


いまだにボールを受けて腫れたところはそのままだという。

何より驚くのはその「目」だ。

先日、教え子の栽さんの弔問に訪れた帰り、北谷球場で秋の大会の決勝戦をご覧になった。
中部商の盛根監督は大学の教え子、
沖尚の比嘉公也監督は、選手時代の金城孝夫監督(現・長崎日大)が瀧さんの教え子で、いわば孫弟子。

試合後、選手を捕まえてアドバイスしている姿は「的確」かつ「ストレート」。
まさに「三球勝負」という指導であった。
   
今から44年前、愛知県の大学選抜チームを率いて沖縄に見えたことがある。
マサカリ打法の木俣捕手(元中日)が1年生だったころだ。
奥武山でも左翼場外にホームランを打ち込んだそうである。
                                                                            それからも、教え子である栽さんとのつながりもあって、
大学入試の試験官として、なんども沖縄の土を踏んだ。

負けるのが当たり前だった「沖縄野球」
道具がないのが当たり前の「沖縄野球」
這い上がるために必死だった指導者達。
それを知っている生き証人である。

「夏の甲子園で優勝するには?」と聞いてみた。

「沖縄が勝つのは『春より夏』とおっしゃった」

私は「あれ?」と思った。
「春をもう一度」とおっしゃるのかと思ったからである。

「沖縄が勝つなら、やはり夏。そのためには二人の優秀な投手をそろえること」

98年、沖水が秋の九州大会を優勝してセンバツに行ったとき、
新垣、宮里と2枚のエース級ピッチャーを擁して甲子園にのりこんだ。
故栽監督は、瀧さんの言葉を聞いていたはずだ。
だが、なぜかあのチームが甲子園では勝てなかった。

「2枚」のエース級投手…。

九州大会に出場する沖尚には、東浜、上原亘、そして隠しダマの比嘉紹也。
中部商には、湧川、伊波ら人数をそろえている。
彼らが「エース級」の活躍をしたとき、沖縄球界悲願の
「センバツ二校同時出場」が実現することになる。





                                                      



  
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2007年10月11日

人数



県民大会に集まった人数を云々している報道があるようだ。
現場を見た人間にいわせれば、つまらない話だ。  
Posted by 土方 浄 at 20:00Comments(0)TrackBack(0)