頑張れと踏ん張れ

家主

2006年11月11日 17:11

先日、〝夜回り先生〟こと水谷修さんと、沖縄大学の加藤彰彦教授の
対談を聞く機会があった。
その中で、水谷さんが強調していたのが「1対1」

共同体を作ろうとしても、基本はすべて「1対1」の関係性の中でしかない。

だから水谷先生は基本的にテレビは信じていないとおっしゃる。
テレビはどう考えても「1対1」にはなりえない。

残念ながらそうである。
地上デジタル放送がいくら双方向性だといったところで
それは「目を見て話している」わけではない。

私たち出演者が見て話しているのは、カメラのレンズという
見ている人を想定した「バーチャルな目」なのである。

きょう、教育現場の方と話をする機会があって、いじめの話になった。
昔はけんかをするのは1番と2番で、
1番が一番弱いやつをいじめるなどということはなかったという嘆きあいになった。

そんな中で、ある先生が言った。

「一生懸命、自分の立場を守ろうと頑張ってるヤツに『頑張れ』というのは
『死ね』というようなもの。彼らには頑張れといってはいけない。頑張れではなく『踏ん張れ』だ」

彼は、学校の中のとりわけやんちゃな子供たちを集めて「組」を作っているそうだ。
「目と目」で向き合うためにである。

「1対1」、「目と目」で向き合っているひとがここにもいた・・・と、ちょっと嬉しくなった。