頑張れと踏ん張れ
先日、〝夜回り先生〟こと水谷修さんと、沖縄大学の加藤彰彦教授の
対談を聞く機会があった。
その中で、水谷さんが強調していたのが
「1対1」。
共同体を作ろうとしても、基本はすべて「1対1」の関係性の中でしかない。
だから水谷先生は基本的にテレビは信じていないとおっしゃる。
テレビはどう考えても「1対1」にはなりえない。
残念ながらそうである。
地上デジタル放送がいくら双方向性だといったところで
それは「目を見て話している」わけではない。
私たち出演者が見て話しているのは、カメラのレンズという
見ている人を想定した
「バーチャルな目」なのである。
きょう、教育現場の方と話をする機会があって、いじめの話になった。
昔はけんかをするのは
1番と2番で、
1番が一番弱いやつをいじめるなどということはなかったという
嘆きあいになった。
そんな中で、ある先生が言った。
「一生懸命、自分の立場を守ろうと頑張ってるヤツに
『頑張れ』というのは
『死ね』というようなもの。彼らには頑張れといってはいけない。頑張れではなく
『踏ん張れ』だ」
彼は、学校の中のとりわけやんちゃな子供たちを集めて「組」を作っているそうだ。
「目と目」で向き合うためにである。
「1対1」、「目と目」で向き合っているひとがここにもいた・・・と、ちょっと嬉しくなった。