肖像画
昔、偉人伝シリーズというのをずいぶん読んだ。
シートン、エジソン、ナポレオン、ファーブル、福沢諭吉、湯川秀樹…
古いところでは、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康、源頼朝…
ところが教科書にいま、ワタシが見慣れた源頼朝の肖像画は載っていない。
平成になってから、あれは足利尊氏の弟の直義の肖像だという説が出てきたからである。
この人は、落馬して亡くなったことになっているが、不思議なことに
ある時期の動向が、史書からすっぽりと抜け落ちているという。
北条氏に謀殺されたという説もあった。
かつてお札の代名詞であった聖徳太子の肖像画も出ていないらしい。
聖徳太子の本名は厩戸王であるが、実は架空の存在ではないかというのである。
昔目にした、馬に乗った足利尊氏の肖像は、どうも高師直だろうという話になっているようだ。
上野の山の西郷隆盛の銅像の話は有名である。
お披露目に奥さんを読んだら、幕をとって銅像が姿を現した途端、
奥さんが
「これは西郷ではなか…」
と言ったというのである。
武田信玄の肖像も、別人説があるようだ。
シェークスピアの肖像画にしても、実は死後200年もたって
かかれたものということがわかったらしい。
そもそも、現時点で本人の顔を覚えている人は誰もいないのであるから、
推定の域を出ないのである。
しかし、事実を知っている人が生存しているケースはちょっと違う。
きょう、文科省の教科書検定の結果が出て、
沖縄戦での、住民の集団自決について検定意見が付き、
教科書が修正されたのだという。
証言して下さった、集団自決で生き残られた方の
「奥深くしまいこんでいたものを、なぜいま引き出すのか」
という言葉が重かった。
ワタシも歴史を勉強してきた一人であるが…
『歴史』とは何なのだろう。
なんとも不思議な「そのとき、歴史はうごいた」である。