暴挙

家主

2007年04月18日 12:07

「まさか」



と思った。

選挙運動中の伊藤一長長崎市長が撃たれて亡くなった事件である。

おなじ日の朝、アメリカ・バージニア州の工科大学で32人もの人が
銃の犠牲になった事件を聞いてショックを受けたのに、
銃の所持が認められていないこの国で、しかも選挙真っ只中に起きた
事件だったからなおさら驚愕の出来事だった。

亡くなられた伊藤市長とは、一度だけお会いしたことがある。
1995年。終戦50年の節目に長崎、広島、那覇の3市長が集まって行われた
「ピーストライアングルサミット」のときに、取材であっただろうか。

わずかな時間だったが、準備の時間に当時の平岡広島市長と伊藤長崎市長の
お二人と言葉を交わすことが出来た。
そのときに伊東市長が、こうおっしゃったのを鮮明に覚えている。


「私は昭和20年8月生まれなんです…」


伊藤市長の誕生日は昭和20年8月23日。
長崎に原爆が投下されて、2週間後に生を受けておられるのである。

「だから…」

伊藤市長は、在職中、ことあるごとに核兵器廃絶を訴えてこられた。
人類史上最悪の兵器である核兵器を世の中から無くそうと訴えた人が
なぜ銃禍にあって命を絶たれなくてはならないのか。
しかも銃が「ないはずの国」でである。

直後、多くの反応が聞かれたが、
総理大臣の最初の反応は

「真相究明を望む」

だった。


市長が選挙運動中に銃撃されるという事態を考えると、
報告を受けた直後に

「民主主義への冒涜である」

という強いコメントを出すべきだっただろうと私は思う。



後で聞くと、おなじ頃和歌山でも拳銃による事件が起きていたという。

この国で拳銃を持っていいのは、決まった職種の…しかも
治安を守るための人間だけに限られているはずである。


安全に、安心して生活することが出来ること。
精神的にも、環境の上でも、社会的にも
これが最高なのではないか。


社会の箍(たが)が緩んでしまったのか。
高度成長の時代、この国は、国民は何を求めてきたのか。
ブームに乗り、バブルに踊り、韓琉に舞う。
武田信玄ではないが、「人は城、人は石垣」である。

またひとり、信念を持った人がこの世から消えた。