いつでも歴史は動いた
きょうは嘉手納基地包囲行動が行われた。
この企画には「雨」のイメージが強かったが、きょうはその心配はなかったようだ。
ヒトがやったことは、「歴史」に変わっていく。
問題はその評価である。
一方で、ずっと昔のことに関しては、後の人類が勝手に評価していることも多い。
「仁徳天皇陵」という言葉は教科書から消え、
今では「大仙山古墳」である。
聖徳太子は教科書に出ているが、実在したかどうかについては疑問の声が出ている。
弥生時代は、これまでより500年も早く始まったと言う説が強まっている。
恐竜の滅亡だって、小惑星か彗星の衝突という説がほぼ定説となったのはそう遠い過去の話ではない。
その恐竜が「トリ」のご先祖様と言う話は、ここ数年出てきた話だ。
生物の歴史はともかく、問題は人間がかかわる「歴史」だ。
だいたい「史書」と言うものはそれが書かれた国の政治体制に大きく影響される
ものだから、その辺を差っぴかないとおかしなことになる。
「負」の歴史も歴史の一端である。
そうした歴史をあえて受け止めた上で現代に生かさないと、古人のやったことが無意味になる。
「わずらわしい」と言う理由で住所を「●丁目」に変えてしまったり、
何でもかんでも「ニックネーム」をつけて呼ぶ習慣。
時代に合わないからと、それまで行われた習慣をあっさり切り捨ててしまったり、
あくまで組織や社会の中の一人だからと、「ヒト」を評価することを嫌う流れ。
やだね
完璧な人間などいない。
そういえば
先日も、人間が過度なアルコール摂取によって、人格を変身させ、第二の人格が現れる瞬間に遭遇した。
酒に酔うと、全く違うヒトに変身するオジサン〔時にお姉さん〕がいる。
ワタシが知っているヒトは、普段は無口で知られていた。
あるときノミヤで会ったらえらく賑やか。こっちへ来いと呼ばれ、ごっそうになった。
酔っているときはめちゃくちゃ饒舌で、肩を組んで歌を歌ったのに、
翌日会って「おはようございます」と言ったら、目もあわせてくれなかった。
あれは異次元空間だったのだろうか。
痛飲すると、時に記憶をどこかにおいてくることがある。
いつだったか、そば屋に入ったら、そこの亭主が
「この間は、随分召し上がってましたね」
という。
怪訝に思ってさりげなく聞き出してみると、
どうやらワタシは酔っ払ったあと、その店に入り、
ソバを2杯平らげて帰ったらしいのである。
そういえば妙に胃が重たい朝があった。
そんな日は、一日懺悔の思いに沈むのである。