一番
1番でないと嫌だと言う人がいる。
勉強も一番、スポーツも一番、遊びも一番…。
何でも集中して頑張ってしまう。
いや頑張るのではなく、それが習性なのである。
しかし、1番を取ったヒトより、2番だったヒトのほうに興味が持てるのは何でであろう。
カワカミさんよりニシモトさんなのである。
ニシモトさんには、悲運の名将という言葉が充てられる。
ご本人はかなり不満であろうと思う。
「悲運」だったとは思っておられないであろうからだ。
「で」あるがゆえにニシモトさんなのである。
木曜日に故・栽監督の追悼番組をやることになった。
甲子園通算「
29」勝。
2年連続「
準」優勝。
逆にそこに重みがあるように思えてならない。
栽さんは常々おっしゃっていた。
「野球はもう9割は解明されています。こうやったら打てない。こうやったら勝てない。
わかっていないのは1割だけなんです」
人間って、その一割が「味」なのではないだろうか。
優秀な選手を全国から集めて甲子園球場で一番最後に残るチームになるだけが
本当の1番じゃない。
番組の準備で、昔の映像を調べていたら、
昭和63年の京都国体の映像が出てきた。
平良、山川のバッテリーを擁した沖水は、この大会で
全国制覇した。
栽さんは、沖尚の優勝を受けて「先にやられましたね」ときかれると、
「僕だって全国制覇してるんだよ」
とよくおっしゃっていた。
久しぶりに見る「優勝」の瞬間。
浜風も吹かず、アルプスもない球場で、栽さんは珍しく屈託のない笑顔だった。