好い人だ!
きょうは大変な目にあった。
取材のため、自分で会社の車を運転して名護までいったが、
帰りになんと宜野座で
車がパンクした!
仕方なく、コンビニの駐車場に入り、お茶で気持ちを整えてから、
10年ぶりぐらいに車のタイヤの交換作業をした。
予断だが、最初に乗った車が大変な「迷車」で、
中古だったのだが、エンジンとブレーキ以外はすべて「不調」だった。
友人が沖縄に来たとき貸したら、
伊佐の三叉路あたりで立ち往生したと言って電話がかかってきた。
当時、あのあたりは路面が熱でやられたのかうねっていた。
彼には言っておいたのだが、その車はハンドルの遊びが半端じゃなかったのである。
彼は伊佐の三叉路で操縦不能に陥ったらしい。
仕方なくタクシーで回収に行った。
又あるときは、チョイと長い出張で、飼っていた鳥を人に預けようと走っていると、
前の車が急ブレーキをかけた。
当然鳥かごはひっくり返り、エサが助手席の足元あたりにばら撒かれた。
一週間後、車を覗いてみたら、助手席の足元に粟とひえのハタケが出来上がっていた。
その間、雨が降り、車体のアナから入った水で、見事な田んぼになったらしい。
又あるときは、運転席のドアが開かなくなった。
そのうち窓が落ちた。
ルームミラーが落ち、サイドミラーが垂れ下がった。
ベアリングがおかしくなり、ブレーキをかけなくても止まるようになった。
今はそうはいかないが、当時の中古車屋さんで、
どんな車でも「1万円」で引き取ります…というのを売りにしている会社があった。
一応「引き取るだけでいいですから」と言ったが、
「うちのシステムですので」と
明るくおっしゃるので、持ち込むことにした。
中古車屋に付いた途端にガムテープで止めてあったサイドミラーが落下した。
車がきしむような悲鳴とともに止まった。
ドアを開けると、窓が落ちた。
担当者の顔が凍りついた。
〈このあたり田口トモロヲ風に)
だからその頃は、車のパンク、修理、連絡などは当たり前であった。
それから10年、久しぶりのタイヤ交換だったが、最近は車についているジャッキも上等になっているのか
割と簡単だった。
そのとき、宜野座の若者だろうか、
「パンクですか?ダイジョウブですか?」
と聞いてきた。
どてっぱらにRBCと書いてあるから少々恥ずかしかったが「そうだ」というと、
自車につんでいた修理用の道具を貸してくれた。
「ありがとう!宜野座の若者よ、宜野座の人たちは優しい!」
そういえば腹も減ったので、名護に行く前に蕎麦屋に入った、名前は「やかそば」
ここの定番メニューの「やかそば」を注文したらかなり変わっていた。
ソーキにとろみが付いているのである。
不思議だったので聞くと、軟骨から出たゼラチン質とのこと。
だしはかつお味。
最近は沖縄ソバも特色をどう出すかの時代である。