残念
興南高校、残念だった。
文星芸大の佐藤投手は、高校野球では完成品に近い投手。
あれだけストレートが手元で伸びてくると、そう簡単には打てないだろう。
前半、セフティバントなど、もう少し足を使っていたらとも思ったが、
それさえさせてくれない厳しさもあった。
ところで・・・
今朝の新聞を見て、驚いた。
芸能界のことではない、先代の佐渡ケ嶽親方がなくなったという記事である。
ワタシは、この人が「大関・琴桜」だった頃からなぜか大好きだった。
というのも、ワタシは小さい頃から「サイ」が大好きだったからである。
したがって、恐竜のトリケラトプスも大好きである。〔どうやらスピルバーグも好きらしいが…〕
後に横綱になる琴桜は、「ぶちかまし」に「のど輪」「がぶりより」と猛烈な破壊力を誇り、
「猛牛」のニックネームも付いた。
北の富士との優勝かけた大一番があった。
昭和47年の7月場所だったか。
立会い前のにらみ合い。
立ってからはすさまじい迫力だった。
実は、一度だけお会いしたことがある。
たまたま弟子をスカウトに来たときだったか。
空港でたまたまお見かけしたので
「握手してもらえませんか」
と御願いしたら、快く手を差し出してくれた。
すごくやわらかく、暖かい手だったのを覚えている
あの激しい相撲からは想像も付かない。
現役時代も、「気が弱い」とか「やさし過ぎる」評された親方だが、
弟子には厳しく、しかし暖かく、先月新大関になった琴光喜や、大関琴欧州。
引退した関取でも、大関琴風、F1相撲といわれた琴錦、琴富士、琴ケ梅、
そして沖縄出身の琴椿も育て上げた。
人の「手」は、表情や態度に出ない人柄を伝えることがあるのではないかと
彼と握手したときに思った。
何年前だったか沖縄巡業のとき、期待されながら、稽古では先輩力士に
お客さんの前で蹴飛ばされていた琴光喜の姿が眼に浮かぶ。
大器は先代親方譲りの「晩成」で大関に上り詰めた…。
ご冥福をおいのりしたい。