単刀直入
久々に「夜回り先生」こと、水谷修先生にお会いした。
この人の前に出ると、なぜか垣根を作れない。
垣根というより、余計な修飾語が無用な気がしてくるのだ。
地のままでないと失礼な気がするし、自然とそうなってしまう。
「人のために生きるって楽ですよ」
とおっしゃる。
ふと、人のために何かしたことがあるか?と自問してしまう。
本当に「人のため」に何かしたことがあるか?
自分も生きようとする送りバントはほぼ失敗する。
犠打は犠牲になることを知って、確実にやるから成功するのだ。
以前、片岡鶴太郎さんの美術館を訪れたとき、色紙を買って帰ってきた。
それには、犬の絵とともに
「おのれの立つところ深く掘れ 必ずそこに泉あり」
と書いてあった。
人間みんな4番バッターではない。
だからこそ面白いのだ。
おのれの打順が2番なのか3番なのか、はたまた代打なのか…
でもみんなにチャンスはある。
人にはみんな可能性がある。
可能性を支える道、再生する道…
それぞれの足元に、出来ることは埋まっているのだろうと思った。