私はワタシまたはワタクシでアタクシ、アタシは使わない

家主

2008年11月20日 02:12

「ワタクシ」なのか、「ワタシ」なのか、「ボク」なのか。
最近、アナウンサーでも、表現がばらばらである。

広辞苑をひくと
代名詞としての「私=ワタクシ」は・・・「話し手自身を指す語。現代語としては、目上の人に対して、また改まった物言いをするのに使う」とある。
「私=ワタシ」は・・・「話し手自身を指す語。ワタクシよりは砕けた言い方」とある。

では「僕=ボク」はどうか。
代名詞としての「僕」は、(明治期からはじめ書生言葉として話し言葉で使われるようになったもの)で、
男子が自分自身を指す語。もとはへりくだった言い方だが、今はおもに
「成人前の男性が同等以下の相手に対して使う」とある。

現実には、成人前の男性だけが「僕」を使っているわけではないが、
かなりフランクな場で使う代名詞であるのは確かである。
公の席で使うものではないということだ。

さまざまな人が放送に登場するようになり、さまざまな一人称代名詞が飛び交う。
小林よしのりさんは「わし」なのであり、
筒井康隆さんの小説の登場人物は「オレ」なのであり、
四畳半に住んでいる大山昇太は「おいどん」であり、
夏目漱石の猫は「我輩」であり、
皇帝陛下は「朕」であり、
侍は「拙者」または「身ども」であり、
町人は「あっし」であり、
おいらんは「わらわ」であり、
加山雄三は「ぼかぁ」なのである。

しかし、放送で言葉のプロとしてしゃべるアナウンサーが使うものは
やはり「ワタシ」か「ワタクシ」でなければいけないであろう。

放送黎明期とは違い、さまざまな方々が番組に出演される。
おいらもアチキも、わーもミーも出るザンス。
そういう時代であるからこそ、守らなければいけないことがある。
そうしないと、「アナ」がつく商売、ほんとうに「口先だけ」になる。

10年ちょっと前の国語審議会で、新聞や放送で「言葉遣い」に気を使ってほしいという
話が出されたことがある。 
放送の形態もずいぶんと変わってきた。
「ボク」も「オイラ」も、絶対使っていけないわけではないだろう。

たとえば、親しい同業者との対談などであれば、そうした代名詞を
使ったほうが話の内容に温かみが出る事だってあると思う。

しかし、誰に伝えているか。
誰を相手にして話をしているか。
それを忘れてはアキマヘン。