食の傾向

家主

2008年11月25日 10:22

いつの頃からか、沖縄料理はステイタスになった。
20年も前なら、沖縄料理を本土に行って食べることすら難しかったのではないか。
いまでは料理番組で普通に「ゴーヤーチャンプル」を紹介しているし、
東京の食堂でだって、沖縄ソバを出していたりする。

初めて沖縄の地を踏んだとき、リースビル向かいに立つ孔子像を見て、
絶対に中華街があるに違いないと思った。
しかし、それらしいものは発見できなかった。
コザの南京食堂に行ったとき、アツアツの小籠包の旨さに
感動したが、「街」と着くような場所はなかった。

沖縄本島とは不思議なところで、空港を降りてから
ずっと同じ風景が続く。
離島に行くと、
空港→商店街→住宅街→墓場→ウージ畑→墓場→ウージ畑→墓場→ウージ畑→リゾートホテル
といった目に見える変化があるが、本島ではすべてがマンチャーのまま過ぎていく。


沖縄料理が現在のような地位を得てしまった今、
一時期あった「沖縄中華街構想」も耳にしなくなったが、
「食」というのは重要なアイテムだと思う。

沖縄にはイノシシはいたが、豚はいなかったと言う。
中国の使節を歓待するために、移入したのだと聞いた。
当然のことながら、中国の使節の「口にあった料理」を検討したことであろう。
沖縄ならではの中華街があってもいいと、今でも思う。

そういっている自分の食生活は、かなりチープである。
週末は忙しいので、ほぼ100%カップ焼きソバと弁当である。
ワタシの中で、UFOというのは空飛ぶ円盤=未確認飛行物体ではなく
焼きソバのことである。
カップラーメンは「汁」まで飲まなければいけないので苦痛なのだ。
別に飲まなくてもいいのだが

「残してはいけない」

というコドモのころの教えが身についているのである。

すると、あのアジクーターの「汁」だけ飲むのはしのびないので、
チンして食べられる「コメ」を買ってきて汁に突っ込む。
結果として

太るのである。

そんなこともあって、カップめんは焼きそばを基本にしている。
とはいうものの、あれは焼いていない
焼いていないのに焼きソバというのである。
本来「大豪邸」を意味するマンションが、2DKであるのと同じである。
「カップ焼きソバ」というものそれ自体が、意味を持つのである。


ずっと以前、カップライスなるインスタント食品があった。
カップラーメンの「コメ」版である。

チャーハン風味でそこそこ美味であった。
だが、如何せん量が少なかったのを覚えている。
麺食う人は好き好きだが、コメ食う人は量なのである。

海外に行くとカップライスが存在するらしいが、
どんなものかは知らない。
未確認嗜好物体である。