カンパ到来

家主

2009年01月12日 20:02

いやはや本格的に寒い。
ユキの降る場所から帰ってきたのであるから
少々の寒さは驚かないはずなのであるが、
沖縄の寒さは本土の寒さと質が違う。

本土の寒さは足から上がってくる。
ずっと立っていると「八甲田山」の映画のように
そのまま凍ってしまいそうになるほど寒いこともある。
しかし、しっかり防寒の備えをしていれば
なんとかしのぐことも出来る。

しかし、沖縄の寒さは風の寒さである。
風が吹かない日がない沖縄、
とりわけ北風吹くこの季節の風は
着ている服の隙間から進入し、
五感を刺激する。

心から寒い


やつも、最近は小屋から出てこなくなった。
散歩のときだけ、オッサンが両手をスリスリしながら
下駄を突っかけてタバコを買いに行く風情で現れる。
どんなに寒くても、それが奴にとって最大の楽しみだからである。

♪ ユキやこんこ
  アラレやこんこ
  降っては降ってはまだ降り止まぬ
  イヌは喜び庭駆け回り
  ネコはコタツでマルクなる

イヌも雪でも降ってくれば楽しく走り回ることも出来るだろうが
寒い風が、時おり雨混じりで吹きまくるのでは
小屋に蟄居したほうがいいと判断するのであろう。

ネコは基本的に暖かいところが好きである。
奴らがいるところを見ると、不思議とそこだけ
陽が照っていたりする。
しかし、そんな場所もないときは閉じこもるしかない。

とはいえ、コタツをほぼ見ない沖縄では、
中で丸くなる場所もない。
マルクもなくなってユーロになってしまったし、
だから今はマルクないのである。


それはそうと、こう寒いと暖房のことを考えてしまう。
ワタシが沖縄に来た年の冬に買い込んだ大物が三つある。
一つはコタツである。
とにかくコタツを買おうと思った。
なぜなら中で寝ることも出来るからである。

ネコと同じ発想である。

しかし、2年で本を積み上げる台と化し、
3年で粗大ごみと化し、
4年で欲しいとも言わない知り合いに押し付けた。
基本、邪魔だったのである。

二番目は車である。
「免許がないと生活できない」と力説されたので
あわてて免許を取った。
とったらセンパイが自分の車を譲るという。
「5万円でいい」
というのである。

当然ながら、ワタシの目は細くなり、
相手の表情を下から伺うように観察した。
どう考えたって、5万円の車というのは怪しすぎる。
とはいうものの、車は欲しいし、
ま、動けばいいかというのもあって購入した。

その後、修理やら何やらで30万ほどかかった。

この車は最も記憶に残る車である。
最初に同期の連中とドライブに行ったのが
「戻るみち」であった。

今は国頭村の「奥」に行くのに
宜名真トンネルという大変便利な道が出来、
道路もきれいになっているが、
高さ80メートルの断崖で
景色の素晴らしい「萱打バンタ」に行くには
当時一本の道を通らねばならなかった。

それが「戻るみち」であった。

名前そのものである。
車一台がやっと通ることが出来るだけの幅しかなく、
しかもその道は「上り下り兼用」であった。

すれ違えないのである。

若葉マークを付けたワタシの車は、
数十メートルあったその道の中央で
向こうから来る車と遭遇した。
ほかに3人乗っていたのだが、
空気が一変した。

生死がかかったのである。

何しろ、運転しているのは若葉マーク。
運転を替わろうにも、
左は50センチほどの幅の向こうに広がる
断崖絶壁。
右は切り立った斜面で出ることも出来ない。

ワタシを除く全員が生きたカーナビになった。


その後もこのクルマは様々な
伝説を残してくれた。
この車、高速を運転中、100㌔を超えると
音が鳴る。
キンコンキンコンという金属音である。

名護に行った帰り、那覇までお送りすることになったとき
あるセンパイのアナウンサーをお乗せすることになった。
(名前は伏せるがK城まり子さんという)
彼女はその音が「死ぬぞ、死ぬぞ」と聞こえる
と言っていた。

馬鹿なことを言うな…と思ったが、
お送りして家に帰り駐車場に止めてふと見ると
タイヤがパンクしていた。



この車、あろうことか雨漏りもした。

出張の折、当時飼っていたセキセイインコを預けることにした。
助手席にトリかごを乗せて走っていたら、
前の車が急ブレーキを踏んだ。
かごがひっくり返った。


悪態をつきながら、かごからあわよくば逃げようとするトリを
なんとか宥めてカゴに戻した。


一週間後、出張から帰って車のドアを開けると
助手席の足元に、高さ15センチほどに育った
アワやヒエの苗が青々とした姿を見せていた。

しかし、この車、エンジンだけは絶対におかしくならなかった。
外装は錆び、サイドミラーも落ち、そこに穴が開き、
助手席のドアも開かなくなり、窓がドア内に落下し
なぜかついていた8トラックのステレオ装置も
〔なぜそれがついていたか不明)
意味を成さなくなっていたが、
エンジンは丈夫であった。

元の持ち主の名は伏せるが、アナウンサーのセンパイで
Y内H幸さんという。


車の話が長くなったが、
ワタシが沖縄に住んで1年目に買った大物3つ目、
それはゴルフクラブであった。
これもY内さんの強い勧めで買ったのである。

ゴルフは人の性格をアワラスという。
昔、名前は伏せるが「Y卓」さんというセンパイと
ゴルフレンジに行った事があった。
つくや否や、センパイはいきなりボールを打ち始める。

全部右の土手に向かって見事な放物線を描いていく。
この放物線は、「栄光への架け橋」ではなく、
「怪我への架け橋」に繋がりかねない危険な臭いがした。

そこで
「センパイ、握りが違いますよ」と指摘した。
センパイは「ウンウン」とうなづいた。
しかし、その後も彼は右への放物線を描き続けた。

ゴルフは向く人と向かない人がいると確信した。


明日はもっと冷え込むそうだ。
一杯やってとっとと寝よう。