死生観
ドイツの哲学者ハイデガーは、
“人間は「死」に向かって歩んでいる存在”
だといっている。
ところが、何年か前、小学生の3割もが
「人間は死んでも生まれ変わる」と
本気で思っているというアンケートの結果が出ていた。
一つにはゲームの影響である。
確かに何度死んでも、電源を落とせば
最初からやり直すことが出来る。
しかし、現実にはそうはいかない。
ピンクパンサーのクルーゾー警部役で
一世を風靡した俳優のピーターセラーズは
死んだら必ず死後の世界があることを知らせに戻る…
と言っていたが、帰ってきたという話は聞かない。
最近は「死」を眼前にすることが少なくなった。
病院で死ぬヒトが多いからである。
自宅で「看取る」というケースは非常に少ない。
沖縄は全国でも少ないほうだと言う。
「死」が分からなければ「生」もわかるまい。
ある雑誌を読んでいたら遺伝子工学の第一人者
村上センセイが
江戸幕府の実質的トップだった“老中”の「老」の字の意味は
「経験をつんでものを良く知っている」と言う意味。
敬う対象であるべき「老」が
『後期高齢者』とは…と憤っておられた。
最近のニュースなどの出し方でも、
死者に対するいたわりを感じない表現が多々あるように思う。
こんな時代が一層進んでいってしまっては
あの戦争で失わなくともよかった命を失った人々に
も申しわけない。