死生観

家主

2009年02月19日 22:49

ドイツの哲学者ハイデガーは、
“人間は「死」に向かって歩んでいる存在”
だといっている。

ところが、何年か前、小学生の3割もが
「人間は死んでも生まれ変わる」と
本気で思っているというアンケートの結果が出ていた。

一つにはゲームの影響である。
確かに何度死んでも、電源を落とせば
最初からやり直すことが出来る。
しかし、現実にはそうはいかない。

ピンクパンサーのクルーゾー警部役で
一世を風靡した俳優のピーターセラーズは
死んだら必ず死後の世界があることを知らせに戻る…
と言っていたが、帰ってきたという話は聞かない。

最近は「死」を眼前にすることが少なくなった。
病院で死ぬヒトが多いからである。
自宅で「看取る」というケースは非常に少ない。
沖縄は全国でも少ないほうだと言う。

「死」が分からなければ「生」もわかるまい。

ある雑誌を読んでいたら遺伝子工学の第一人者
村上センセイが
江戸幕府の実質的トップだった“老中”の「老」の字の意味は
「経験をつんでものを良く知っている」と言う意味。
敬う対象であるべき「老」が
『後期高齢者』とは…と憤っておられた。

最近のニュースなどの出し方でも、
死者に対するいたわりを感じない表現が多々あるように思う。

こんな時代が一層進んでいってしまっては
あの戦争で失わなくともよかった命を失った人々に
も申しわけない。