菅僚国家
朝から永田町方面は、大騒ぎだったが、
終わってみると、そよ風ぐらいだった。
どっから考えてみても、
この時期にねえ…
永田町民族が何を言ってるのを聞いても呆れてしまう。
言語が違うのか、あの一角だけバチカン市国のように
別の聖域になっているのか。
日本の官僚国家を批判する声はずっとあった。
でも、官僚国家・日本は武士が刀をさす役人になった江戸時代から
ずっと続いているのだ。
幕末になってさまざまな困難に対応せざるを得なくなった
幕府の老中に就任した25歳の阿部正弘は
(25歳で総理大臣なんで、きょうびありえませんが)
低い身分の幕臣を次々に重要なポジションに抜擢した。
当時はシステムが出来上がっていたので、血縁に守られた中で
「人物」はなかなか昇進できなかったが、
きらりと光る「人物」を見つけるのはさほど難しくなかったという。
「幕府官僚」の中にも、先見性のある人物はたくさんいた。
勝海舟、川路聖謨、岩瀬忠震、小栗忠順。
ワタシは幕末の 勘定奉行・小栗上野介という人物が好きで、終焉の地にも行ったが、
徳川埋蔵金のを隠した人物…と語られるばかりで、横須賀造船所をつくるなど
日本近代化の基礎を築いたことはあまり出てこない。
このヒト、官軍と最終決戦!と言い続けたものの、親分・徳川慶喜が水戸に隠居したため、
彰義隊に引っ張られそうになっても
「親分がやらんというのに、大義名分のない戦ができるか」と
田舎にこもった。
ところがここからが幕末を生き延びたヒトと、明治を迎えられなかったヒトの差である。
官軍に「幕府サイドの危険人物」と思われていた小栗は
有無を言わさず、「濡れ衣」も着せられぬまま殺されてしまった。
このヒトが生きて新時代を迎えたらどんなことをやってのけたか…。
優秀な人材は使い尽くさなければいけない。
それがわからないのが罪である。