菅僚国家

家主

2011年06月02日 22:36

朝から永田町方面は、大騒ぎだったが、
終わってみると、そよ風ぐらいだった。

どっから考えてみても、
この時期にねえ…
永田町民族が何を言ってるのを聞いても呆れてしまう。

言語が違うのか、あの一角だけバチカン市国のように
別の聖域になっているのか。


日本の官僚国家を批判する声はずっとあった。

でも、官僚国家・日本は武士が刀をさす役人になった江戸時代から
ずっと続いているのだ。

幕末になってさまざまな困難に対応せざるを得なくなった
幕府の老中に就任した25歳の阿部正弘は
(25歳で総理大臣なんで、きょうびありえませんが)
低い身分の幕臣を次々に重要なポジションに抜擢した。


当時はシステムが出来上がっていたので、血縁に守られた中で
「人物」はなかなか昇進できなかったが、
きらりと光る「人物」を見つけるのはさほど難しくなかったという。


「幕府官僚」の中にも、先見性のある人物はたくさんいた。
勝海舟、川路聖謨、岩瀬忠震、小栗忠順。

ワタシは幕末の 勘定奉行・小栗上野介という人物が好きで、終焉の地にも行ったが、
徳川埋蔵金のを隠した人物…と語られるばかりで、横須賀造船所をつくるなど
日本近代化の基礎を築いたことはあまり出てこない。

このヒト、官軍と最終決戦!と言い続けたものの、親分・徳川慶喜が水戸に隠居したため、
彰義隊に引っ張られそうになっても

「親分がやらんというのに、大義名分のない戦ができるか」と

田舎にこもった。


ところがここからが幕末を生き延びたヒトと、明治を迎えられなかったヒトの差である。
官軍に「幕府サイドの危険人物」と思われていた小栗は
有無を言わさず、「濡れ衣」も着せられぬまま殺されてしまった。


このヒトが生きて新時代を迎えたらどんなことをやってのけたか…。


優秀な人材は使い尽くさなければいけない。
それがわからないのが罪である。