キーマンはかく語りき

家主

2006年05月22日 14:56

先週土曜日、沖縄県サッカー協会が法人化され
「社団法人 沖縄県サッカー協会」としてスタートするに当たってのパーティが開かれた。

そこにゲストとして招かれたのが日本サッカー協会のジェネラルセクレタリー、
つまりGSの平田竹男さんである。


「ガソリンスタンド」「グループサウンズ」でも何でもいいです…と笑いを誘っていたが、
実際は川淵三郎キャプテンの懐刀であり、実質№2といってもいい人である。

大学までサッカーをやり、通産省に入って20年。
この間ブラジル大使館の一等書記官を務めたこともありポルトガル語に堪能だ。

代表監督のジーコを最初に迎えたのも平田氏だそうだ。

そのジーコが言っていたという

「日本人は自らを知らない。日本人に足りないのは技術ではなく、自信だ」

それが証明される機会は、もう目前に迫っている。

ところで平田氏は「サッカーで勝つことで日本人のDNAが変わる」という。
「サッカー界が日本人を変えるのだと信じ」て、日夜働いているという。

その平田氏に沖縄はどう映るのか…。

「我那覇の存在は大きいですね。ユースでも田口などが出てきたし、
 福島のエリートプラグラムにしても、沖縄出身の選手が入っている。
 “シズオカ・ウラワ・ヒロシマ”というかつての「サッカーどころ」のイメージは消え、
 代表にも九州勢が3人。地殻変動が起こっている。
 沖縄も小学校から高校まで指導者のやってきたことが実現してきた。

 新潟しかり…
 甲府しかり…

 大企業が無ければ『プロ』は出来ないという理屈は通らなくなった。
 あと必要なのはスタジアムだろう」

平田氏は、沖縄でプロスポーツが出来るとしたらサッカーを措いて、ないと断言する。

次の北京五輪は「時差のない」オリンピック。
平田氏は誰でも見られる今度の五輪は若手切り替えが進み、サッカー普及には非常に大きいという。

ユースには将来が楽しみな沖縄出身の選手が出てきている。
中央にも同じ目で見ている人がいることが嬉しかった。

ヴィクサーレ沖縄の代表を務め、沖縄のジュニア世代の育成に尽力する加藤久氏が
かつて言っていた。

「いまの中学生世代はすごいよ」

それがいま高校生である。
確かに県外の高校に進んだ選手も多いが、
最終的にJAPANのユニフォームを着ればいいではないか。

それもそう遠い将来ではなさそうだ。