カードを切るということ
スポーツも含めてゲームには必ずルールがある。
ルールがあるから成り立つのである。
W杯の準決勝で勝ったイタリアは、延長戦に入って投入したデルピエロが
決勝点を演出し、ダメ押し点を奪った。
ドイツも3枚のカードをすべて使い切ったが、タイミングが合わなかった。
北朝鮮にも2枚のカードがあった。
「核」と「ミサイル」である。
きょう、アメリカの独立記念日に合わせて、そのうちの一枚をいきなり切った。
カードの切り方も問題だが、国際社会も外交というルールの中で成り立っている。
さまざまな国からイエローカードが出された。
一番悩ましいのは、ここまで北の問題に主導的役割を担ってきた中国であろう。
さて、どうするか。
あまりに露骨な嫌がらせをされると、怒りとか驚きを通り越して
他人事と思えるぐらい、引いてしまうことがある。
切り札は、使いどころが重要というのは、
社会経験を積んだ人なら誰でも分かっていること。
あちらは1枚目のカードを使った…残りは1枚。
琉大の我部教授は
「これで主導権は移った。あまり感情的にならず、冷静さをもって対応すること。外交の勝負」
とおっしゃっていた。
次のカードを切るのは日本か、アメリカか…
まずは中国であろう。