あす3回戦…そして野球が出来るということ。
あす、八重山商工は3回戦で、智弁和歌山と対戦する。
智弁和歌山の
高嶋監督は、全国制覇も経験している名将である。
この夏2つの勝ち星を重ね、
夏の甲子園で28勝。
PLの元監督で、現名古屋商科大学野球部監督の中村順二氏、
常総学院の木内総監督の二人の27勝を抜いて
単独トップに立った。
以前、糸数投手のときの沖水が確かセンバツで智弁和歌山と対戦したとき
インタビューさせてもらったことがある。
言っておくが、甲子園の取材で「相手校」の練習場まで行くのは
新聞は別として、沖縄のテレビ局ぐらいである。
だいぶ前だが、今年のセンバツで優勝した横浜高校の取材に行って、渡辺監督に
「うちの地元は来ませんからねえ…」
と、羨ましがられたこともある。
センバツではその横浜苦しめ、今度は智弁和歌山である。
八重商工には、心残りのないように思う存分暴れてほしい、
というのも、きょうは8月15日。
復帰の年に出された「沖縄県高校野球50年史」の中で、
初の甲子園監督となった元沖縄県高野連会長の福原朝悦さんは
64年前、昭和17年の沖縄の高校野球(当時は中学野球)の状況をこう述べている。
「…いつしか海の向こうからやってきた舶来競技に代って、国防競技が盛んに行われた。その中に手榴弾投擲競技なるものがあった。各中等学校の出場選手を見ると、大部分が元野球部で占められ…」ていたという。
その福原さんが戦後、故郷に戻り、学び舎に立ったとき、
最初にやったのは、廃墟と化した戦場のあとに無数に残る遺骨を集めることだったという。
沖縄の高校野球は、6月の半ば、「沖縄・慰霊の日」前後に幕を開ける。
開会式の選手宣誓には
「野球が出来る喜びを感じて…」
という文言が入ることが多くなった。
思い切り野球が出来なかった人たちの分まで、日本最南端の球児に
頑張ってほしいと思う。