2007年06月15日

花神



JTAの市ノ澤武士社長が、22日の株主総会で正式に勇退する。

司馬遼太郎は、大村益次郎を描いた小説のタイトルを
中国で言うところの「花咲かじいさん」である『花神』と名づけた。
変動時代の先駆者であり、足早に去っていったという意味がこめられている。

市ノ澤社長もJTAに花を咲かせて、40周年という節目に鮮やかに身を引いた。
人間というもの、スポットライトが当たっているほうに立ちたいはずだが
見事というほかない。

社長在任7年。その前副社長1年。
何しろJTAにとって90年代は「苦悩の時代」であった。

94年95年はあわや債務超過というところまで追い込まれた。
労使関係は泥沼だった。ストライキは当たり前。
利用者はそっぽを向き始めていた。
社員は自信を失い、組織から活気が薄れていた。


そんな中、市ノ澤社長は、とにかく「社員の自信を回復させなければ」「社会からの信頼を回復しなければ」と
二つの大きな課題を早急にやり遂げる2つの柱に掲げた。

社長就任直後のの6月末、
「これ以上労使関係ががたがたするようでは、一つ間違えればこの会社は危ない。冷静にお互いに考えよう」と組合と徹底して話し合い、妥協もし、譲歩もして相互理解を勝ち取り、泥沼だった労使関係の結び目を解いた。

25年はかかると言われていた累積赤字の解消を、創立35周年の2002年までに解消する計画を立て、
2001年度には見事「累積」を消した。

社員の自信を回復させた。

同時に地元からの積極的雇用に乗り出した。
市ノ澤社長は言う。

「地元企業として県民の方々からごらん頂いても、JTAは役に立ってくれているなあと、
頼りになるなあと、信頼できるなあと、ここにつながってくるんじゃないかと思うんです」

「それぞれ、会社を選ぶと言うことは、人生をかけること。その選択が、将来間違ってなかったと思えることが大事。
『人生をかけてよかった』と。同時にそれは家族を含めて誇りに思えるような会社にしていくことにつながる」

市ノ澤社長は「これが基本ではないかな」という。

「社員とともに戦うんだという、心のつながりですね、これが大事だなあと思って…。
 どこまで出来たか分かりませんが、これは基本において実践してきたつもりです。」


社員にとっては「突然」、勇退を口にしたとき、
それを聞く「仲間」の中には涙する者もあったという。

「男冥利に尽きます」

社長は言った。

「共に戦える集団」を作るというのは、そう簡単なことではない。
しかし、経営のトップが自ら現場を歩き、絶えず声を聞き、それを経営のヒントにもした。
最後は内部昇格で後継者を選び、すべてを託した。

「今後は、フリーな立場で沖縄のお役に立てれば…。何よりこれからの10年は
沖縄が〝楽しみな〟10年ですから」


いま、おなじグループの親会社の苦悩を見るとき、JTAの安定飛行ぶりが際立つ。
この難しい時代、激変する難しい業界で、見事に沖縄の翼を操って見せた市ノ澤社長。
あくまで「花神」として22日、勇退する。

悔しいぐらい鮮やかな生き方である。
人生の中でも心の拍手を送りたい人に会うことは、そうあることではない。


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Posted by 家主 at 19:05│Comments(0)経済
 
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