2007年08月15日

残念

興南高校、残念だった。

文星芸大の佐藤投手は、高校野球では完成品に近い投手。
あれだけストレートが手元で伸びてくると、そう簡単には打てないだろう。

前半、セフティバントなど、もう少し足を使っていたらとも思ったが、
それさえさせてくれない厳しさもあった。

ところで・・・

今朝の新聞を見て、驚いた。
芸能界のことではない、先代の佐渡ケ嶽親方がなくなったという記事である。
ワタシは、この人が「大関・琴桜」だった頃からなぜか大好きだった。

というのも、ワタシは小さい頃から「サイ」が大好きだったからである。
したがって、恐竜のトリケラトプスも大好きである。〔どうやらスピルバーグも好きらしいが…〕

後に横綱になる琴桜は、「ぶちかまし」に「のど輪」「がぶりより」と猛烈な破壊力を誇り、
「猛牛」のニックネームも付いた。

北の富士との優勝かけた大一番があった。
昭和47年の7月場所だったか。
立会い前のにらみ合い。
立ってからはすさまじい迫力だった。

実は、一度だけお会いしたことがある。
たまたま弟子をスカウトに来たときだったか。
空港でたまたまお見かけしたので

「握手してもらえませんか」

と御願いしたら、快く手を差し出してくれた。

すごくやわらかく、暖かい手だったのを覚えている

あの激しい相撲からは想像も付かない。
現役時代も、「気が弱い」とか「やさし過ぎる」評された親方だが、
弟子には厳しく、しかし暖かく、先月新大関になった琴光喜や、大関琴欧州。

引退した関取でも、大関琴風、F1相撲といわれた琴錦、琴富士、琴ケ梅、
そして沖縄出身の琴椿も育て上げた。

人の「手」は、表情や態度に出ない人柄を伝えることがあるのではないかと
彼と握手したときに思った。

何年前だったか沖縄巡業のとき、期待されながら、稽古では先輩力士に
お客さんの前で蹴飛ばされていた琴光喜の姿が眼に浮かぶ。

大器は先代親方譲りの「晩成」で大関に上り詰めた…。


ご冥福をおいのりしたい。










Posted by 家主 at 19:44│Comments(2)
この記事へのコメント
新聞で知りました。今朝青龍が騒がれている中で、親方はさぞ複雑な気持ちでしょうか。最近では、琴光喜の大関伝達式が一番嬉しそうな表情してました。昭和の名横綱の訃報に、改めてご冥福をお祈り申し上げます合掌。
Posted by 宮城 at 2007年08月16日 00:20
えー・・「黒姫山、・魁傑、・麒麟児、・羽鷲山、・、増井山、・北天祐、」etc・・・

昭和40年台、50年台の関取連中は・・力技、柔道技、など使わずとも・・

お互いの得意技を尊重しながらも、賓よく格式があったおもむき、・・・・

今や、相撲以外のスキャンダル、部屋のゴタゴタ、八百長どーだらこーだら、と・・週刊誌のゴシップネタのオンパレード、・・・相撲に夢を求める若者はいずこえや、・・外国に人材を求めるありさま、・・・・そこでじャ、・・

こーなればだ、「競輪」みたいな、「相撲学校」でも創るかの、-・・・
もーちョい年齢を下げて、部屋に入る前に、「人格人間形成から、相撲の歴史やら、・・体力におおじた技や基礎体力の修得、・・あれこれ、・・・・

まー期待として、「東・西・南・北」で今、横綱が「青」と「白」と来たからには、・・あとー・・「朱雀」と「玄武」絡みが、くるやも・・しれねど・・・・・
Posted by 三所攻め。 at 2007年08月18日 22:52
 
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