2008年11月06日
単刀直入
久々に「夜回り先生」こと、水谷修先生にお会いした。
この人の前に出ると、なぜか垣根を作れない。
垣根というより、余計な修飾語が無用な気がしてくるのだ。
地のままでないと失礼な気がするし、自然とそうなってしまう。
「人のために生きるって楽ですよ」
とおっしゃる。
ふと、人のために何かしたことがあるか?と自問してしまう。
本当に「人のため」に何かしたことがあるか?
自分も生きようとする送りバントはほぼ失敗する。
犠打は犠牲になることを知って、確実にやるから成功するのだ。
以前、片岡鶴太郎さんの美術館を訪れたとき、色紙を買って帰ってきた。
それには、犬の絵とともに
「おのれの立つところ深く掘れ 必ずそこに泉あり」
と書いてあった。
人間みんな4番バッターではない。
だからこそ面白いのだ。
おのれの打順が2番なのか3番なのか、はたまた代打なのか…
でもみんなにチャンスはある。
人にはみんな可能性がある。
可能性を支える道、再生する道…
それぞれの足元に、出来ることは埋まっているのだろうと思った。
この人の前に出ると、なぜか垣根を作れない。
垣根というより、余計な修飾語が無用な気がしてくるのだ。
地のままでないと失礼な気がするし、自然とそうなってしまう。
「人のために生きるって楽ですよ」
とおっしゃる。
ふと、人のために何かしたことがあるか?と自問してしまう。
本当に「人のため」に何かしたことがあるか?
自分も生きようとする送りバントはほぼ失敗する。
犠打は犠牲になることを知って、確実にやるから成功するのだ。
以前、片岡鶴太郎さんの美術館を訪れたとき、色紙を買って帰ってきた。
それには、犬の絵とともに
「おのれの立つところ深く掘れ 必ずそこに泉あり」
と書いてあった。
人間みんな4番バッターではない。
だからこそ面白いのだ。
おのれの打順が2番なのか3番なのか、はたまた代打なのか…
でもみんなにチャンスはある。
人にはみんな可能性がある。
可能性を支える道、再生する道…
それぞれの足元に、出来ることは埋まっているのだろうと思った。
Posted by 家主 at 00:40│Comments(2)
この記事へのコメント
今日はちょっと感動ですね。一歳と二歳の年子の育児しているのですが、この赤ちゃんというものの、人を求める力のすごいこと。ある時はすがりついて、ある時は甘えて。毎日ひぇ~!もみくちゃ。家のなかグチャグチャ。人とのつながりが、大事なんですね
Posted by かなりアバウト at 2008年11月06日 02:22
いーじゃないですか。
スナオに求めるのことが出来るのは
彼らが「天使」だから。
子供は『天使』です。
そーいえば、ワタシが大好きだった
いじわるばあさんという漫画の主人公も
子供と動物には寛大でした。
スナオに求めるのことが出来るのは
彼らが「天使」だから。
子供は『天使』です。
そーいえば、ワタシが大好きだった
いじわるばあさんという漫画の主人公も
子供と動物には寛大でした。
Posted by 土方 浄
at 2008年11月07日 21:38
