2008年11月07日
ことば
筑紫哲也さんが亡くなった。
だいぶお悪いとは聞いていたが、まさかこんなに早く…
筑紫さんの業績はご存知のとおり。
沖縄のことをあれほど気にかけ、沖縄の視点で物事を捉えた
中央のジャーナリストは、筑紫さんをおいていないだろう。
ワタシも筑紫さんの言葉に迷いを払拭してもらったことがある。
ラジオで50年前の首里高校甲子園初出場の番組を作ったとき、
筑紫さんを取材した。
そのとき、筑紫さんは言った
『スポーツであれ、なんであれ、およそ人間がやることで
政治経済活動にかかわってこないものはない』
ワタシの視点は、
「首里高校の甲子園出場は、沖縄の当時の現実を
本土の人々に知らせる最高のアピールになった」
というものだったが、
筑紫さんの言葉は、当時
“スポーツの取材などやってなんになる”
という風を感じていたワタシにとって、
初めてといっていい個人的追い風だった。
また、時代の炎が消えてしまった。
筑紫さんは、アメリカに新時代の息吹が生まれたことを
見届けて逝ったのだろうか。
だいぶお悪いとは聞いていたが、まさかこんなに早く…
筑紫さんの業績はご存知のとおり。
沖縄のことをあれほど気にかけ、沖縄の視点で物事を捉えた
中央のジャーナリストは、筑紫さんをおいていないだろう。
ワタシも筑紫さんの言葉に迷いを払拭してもらったことがある。
ラジオで50年前の首里高校甲子園初出場の番組を作ったとき、
筑紫さんを取材した。
そのとき、筑紫さんは言った
『スポーツであれ、なんであれ、およそ人間がやることで
政治経済活動にかかわってこないものはない』
ワタシの視点は、
「首里高校の甲子園出場は、沖縄の当時の現実を
本土の人々に知らせる最高のアピールになった」
というものだったが、
筑紫さんの言葉は、当時
“スポーツの取材などやってなんになる”
という風を感じていたワタシにとって、
初めてといっていい個人的追い風だった。
また、時代の炎が消えてしまった。
筑紫さんは、アメリカに新時代の息吹が生まれたことを
見届けて逝ったのだろうか。
Posted by 家主 at 21:33│Comments(1)
この記事へのコメント
筑紫さんの言葉は わたしにとって 沖縄にとって
とても 宝物だったと思います。
こういう風に言ってくれる方が本土にいるということが
うれしかった。
遠くからじゃなく 沖縄からこの地に足をつけて 言ってくださることが
うれしかった。
ご冥福をお祈りいたします・・・。
とても 宝物だったと思います。
こういう風に言ってくれる方が本土にいるということが
うれしかった。
遠くからじゃなく 沖縄からこの地に足をつけて 言ってくださることが
うれしかった。
ご冥福をお祈りいたします・・・。
Posted by うずまきメリーさん at 2008年11月08日 22:07