2011年06月21日

伝承

6月23日が近づいた。
戦争体験の風化が懸念されて久しいが、
最近気になるのは、体験ではなく「解説」だ。
後世の世代がてんでに時代を「解説」するのは危険な気がする。
いまは音声も映像もクリアーに残すことができる。
事実…いや現実を伝えることが一番大切なのではないか。体験者が姿を消しても魂が残るように。
「解説者」は、簡単に解釈を変えられるのだから。



Posted by 家主 at 10:18│Comments(2)
この記事へのコメント
先日大戦時の久米島の事がテレビで放映された、その時に久米島に日本軍中野学校出身者が久米島の村長の娘と結婚していたとのくだりで、それを見ていた本人(村長の娘)が「私はあの方とは結婚していません、あれは村長の娘ではなく助役の娘さんですよ。」と言っているのを聞きました。
「新聞なら活字で残るがテレビ放映では残らないなーとのこと。」
その久米島の村長の娘さんはまだ御健在です。
正にご指摘の様に解説者の間違いですね。
年老いた本人はどんな気持ちでテレビ見ておられたんでしょうね。
Posted by ガタケット沖縄(清水孝) at 2011年06月23日 10:47
この平和な日がずっと続くことを願って…
「黙とう」
(- -;)
Posted by 土方浄大好きさん at 2011年06月23日 13:33
 
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