2006年10月16日

投票するということ

豊見城市の市長選挙がきのう行われた。
投票率が前回より16ポイントも低かったのだという。

これは「由々しき」という言葉ではなく「あきれた」状態である。
市に昇格するとき、かなりの住民を「誘致」した。
2度目の市長選となる今回は「新市民」がどういう判断を下すかを注目したのだが・・・。

結果として、この投票率を見たとき「新市民」の大半は
投票に行かなかった・・・
ということになる。

「市」に昇格すたわけだから、何かが変わらないといけない。
とりわけ活気である。

選挙の投票率が悪いから、活気がないと言い切る気はないが、
市のトップを選ぶ2度目の選挙で、大都会並みのこの数字は悲しい限りである。




Posted by 家主 at 20:20│Comments(6)
この記事へのコメント
豊見城に限らず、日本全体が毎度ながらこういう投票率というのは悲しい限りだと思います。
有権者の半数しか参加していない選挙の、そのまた半分の票によって選ばれたヒトがトップを務める・・・。ある意味、そこに恐ろしささえ感じます。よっぽどのことがない限り4年に1度しか訪れない、自分たちの街の将来を託すヒトを決める機会を半数のヒトが放棄したわけですから・・・。
政治にもそういう状態を招いた責任はあると思いますが、[無関心]という市民の意識こそが根本の問題のように感じます。来月の県知事選が心配になってきますね・・・。
ちなみに、海の向こうのとある島国では、毎日のように政治批評(国内外問わず)や皮肉たっぷりのコメディーなどを見ることができます。市民の政治に対する関心も日本のように低くはないようです。彼らと政治の話をしていると、みんな自分のポリシーを持っている。そこに時折うらやましさを感じます。

以上、日本大使館の隣りから中継でお伝えしました。
Posted by Concierge YASDA at 2006年10月16日 21:55
わたしは、「立候補者が地元の人だから」とか「あの人に頼まれたから」 「会社がこの人を推しているから」 そんなことで選んだことは1度もありません。

だけど今度の知事選挙、はたして何で以って選べばいいのか正直わからないのです。
たぶん、どんなに公約や政策を聞いても「これだ!」という決定打がないだろうと思えてしまう、この虚無感は何なんでしょう。

選挙には行きます。
でも結果に対しての興味はすでに冷めています。
選挙に行った、行かないだけの違いであって、この点ではわたしも棄権者も大差ないのかもしれません。
Posted by うずまきメリーさん at 2006年10月16日 22:06
うずまきメリーさんの参考になるように、あしたの知事選討論会はきっちり聞いてきます。
Posted by 家主 at 2006年10月17日 12:22
うずまきメリーさんの参考になるように、あしたの知事選討論会はきっちり聞いてきます。
Posted by 家主 at 2006年10月17日 12:22
どうぞ、よろしくお願いします。。。(- -)
Posted by うずまきメリーさん at 2006年10月17日 21:52
今日の討論会、仕事で生では見られませんでしたが、録画したのを先ほど拝見しましたヨ。

一応、誰に入れるか決めましたが、沖縄県民を牽引する立場としての主体性、打開策の具体性、アピール方法、両者の訴えのいずれも満足いくものはありませんでした。

「討論」=改めて辞書で調べなおしたら
「議論をたたかわせること。意見を出して論じ合うこと。ディスカッション」
とあります。

紙に書いた言葉は討論になるのかな?という初歩的疑問が…。
なんだかなぁ。
それでも二者択一ですからねぇ…(´ヘ`)~3
Posted by うずまきメリーさん at 2006年10月18日 20:21
 
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