2006年11月25日

栄光の背番号…

昔、ちゃんちゃんちゃん…と、ジングルベルのイントロを口ずさみ、
この続きは?と聞く。
すると年代によっては、「青い山脈」になってしまうのである。
ひょっとすると、団塊の世代のそれ以下の切れ目かも知れない。


きのう、背番号「3」といえば…という話になった。
小笠原大介は、迷わず「清原」だという。

私の世代は、間違いなく10人中9人が「長嶋茂雄」である。

同じように背番号「1」は?ときかれれば
小笠原大介は「秋山」である。

私の世代には、10人中8人が「王」であろう。

もちろん同世代でも、「衣笠」とか、コアなファンには「長池」という人もいるであろう。
背番号「1」だって同じこと。

私にとっては、「王貞治」であると同時に、
ゲッツーをとるとき、セカンドに芸術的バックトスを見せた
天才二塁手・高木守道であり、
168cmの身長をまったくハンディにしなかった安打製造機・若松勉であり、
今は福留孝介である。

背番号のインパクトは思いのほか大きい。

ロッテとあさって正式契約となる大嶺祐太投手は背番号「1」だという。
高校野球ではエースナンバーの「1」だが、プロの投手ではあまり見当たらない。

宮武三郎(戦前・阪急)野田浩司(阪神)、中込 伸(阪神)近藤真一(中日)…

北海道日本ハムの場合、東映時代まで見渡しても、
1リーグ時代の1949年に米川泰夫がつけただけで投手で背番号「1」はいない。
名前を挙げた投手も、成績はそこそこ残したが、「大投手」かというと、そうでもない。

逆にあまりにインパクトが強すぎるためか、日本人を避け、外国人選手がつけるケースも目立った。
現中国代表監督のラフィーバー(ロッテ)、ウイリアムス(阪急)、ドイル(ダイエー)、オマリー(阪神)
そして、野村氏が宇宙人と称したSHINJO(日ハム)である。

「背番号1」で偉大な成績を残したといえば、鈴木啓示。通算317勝の大投手である。
「なげたらあかん」といいながら投げ続けていた。

過去の背番号「1」を乗り越える活躍に期待したい。



Posted by 家主 at 12:46│Comments(1)
この記事へのコメント
オレはなぜか『1』 = 「谷繁!」と連想します。
別に大洋(当時)ファンでもないのに。
あのプロテクターを装着したら消えてしまうというのがインパクトあったんでしょうね。

ロッテの 『1』 といえば愛甲がすぐ思い浮かびますね。
ただあの頃は、いくら甲子園のヒーローだったとはいえ、人気も成績も低迷していた当時のチームのカラーに染まってしまい 「並」の選手で終わってしまいましたね・・・。

でも今は時代も本拠地も変わって昨年は日本一(アジア一)にもなり、12球団でも1,2を争う熱狂的なファンの存在がとても心強いと感じられるハズですよ。


ぜひ早いうちに喜びを分かち合う背番『1』と『2』のツーショットを実現してもらいたいですね。
Posted by スプラッシュ! at 2006年11月25日 20:07
 
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