2006年12月25日

贈ることば

今年も、多くの人が鬼籍に入った。
公害闘争のシンボル的存在であった、元沖縄大学教授の宇井純さんもその一人である。

お会いすると、にこやかな笑顔で話してくださったが、
自然の問題や、沖縄の今の話に入ると、表情が厳しくなり、語気も鋭くなった。

一度だけの長いインタビュー。
沖縄へのメッセージとも思えるそのインタビューで
もともと民間企業で先端技術の開発に携わっていたこともある宇井さんは
次のように話してくださった。

宇井純氏インタビュー「1000人のことば」

公害問題では水俣病の患者にぶつかって、そしてこの水俣病の患者が言いたいことが何なんだろう、
あるいは知りたいことは何なんだろうというのを考えながら進んできた。
同じように沖縄の山河、あるいは住民が本当に臨んでいることは何なんだろうというのを考えながら発言をする。
そういうことをやろうと思ってきたんですがどこまで出来たかあんまり自信が無いんですがね、

Q:しかし、作らねばならないものはあるだろうし、環境保護と施設建設に整合性を持たせるのは難しいですね…

うんうん難しいところですね。ただ何かを作るときに果たしてそれが持続できるのか、
50年後100年後もそれでやっていけるかと言うことを考えて作る必要はあると思う。
とに角沖縄の人はお金に弱いというか、お金の単位が苦手なんですよね。

(単位が苦手というのは?)

だから僕ら土木にいますと、土木ってのは兆ってのは大金だと、だけど億ははした金だと、
だからちょっと定規が滑ったって5億や10億の出入りは道路一本だってあるわけです.
まあそういう体験、もう一方で一万円の税金納めるのにふうふう言ってる
だから納税者の立場って言うのがもう一方であるわけだ。
地元の人にとっちゃ大金だろうけれども、金持ってくるやつにとってはたいしたもんじゃない。
これで沖縄の自然が買えるなら安いもんだということでやってくる。
それはよくよくみわけないと
「お金がきた、万歳」というのは危ないだろうなという気はしますね

Q:守らなきゃいけないところは守んなきゃいけないということですね

それからあの、少し手を入れるということもあると思います。
守るにしても.ほうりっぱなしの自然、ではなくて少し要所要所には手が入っていると。
まあ日本の棚田なんていうのはね、そういうものですよ。
随分なエネルギーをかけて管理しているもので…・。
しかしアレがあるおかげで小さなダムが無数にあるようなもので日本の水の循環は随分安定してきている。
だから水が一つの例なんだけれども水をどう上手く利用していくかというのがあるんですけれども、
そのためにはまだ研究しなければいけないところもあるでしょう。それは否定しません。
だけど、たとえば大学院大学を作る。先端技術の研究をそこでやります。
僕は自分が先端技術の研究をやっていた経験がありますからね。
そうすると先端技術なんて10年も経つと時代遅れになると
そんなものやったってしょうがないんです

沖縄で今本当に必要なのはたとえば環境の研究ですよ。それから平和の研究。健康の研究。
そういうものを世界中から第一線の研究者を集めて、ここでやるんだったら、
沖縄にとって必要なことなんだからそれでアジアにとっても必要なことになる。
沖縄に来て解ったことは、ここはそういう時代の先を飛ぶような学者が何人もいたということ。
だからそれがなぜ今いないんだろうかあるいは少ないんだろうかと。
もちろんそれは
市民が支持しなきゃ出来ないことですから。



Posted by 家主 at 19:18│Comments(0)
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??綺??【??綺??罸?莠????宴?????】at 2007年01月10日 16:48
 
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