2007年02月22日

リングにたつ意味

他局ながら、アンビリバボーでやっていたWBA世界スーパーフライ級王者
名城信男のドキュメンタリーに見入ってしまった。

日本タイトルを獲ったとき、闘った相手がその後、亡くなった。
しかもその相手は、ボクシングで何度も背中を押してくれた恩人だった。

恩人の死…ライバルの死を知って、何度もグローブを置くことを考えたが、
亡くなった相手の父や、ライバルがいたジムの会長も
「ベルトを獲れ」と背中を押してくれた。

そして名城はプロ8戦目で最強のチャンプ・カスティーリョにTKO勝ちし、
世界王者になった。

実は彼が中学ぐらいのとき、あったことがあるはずなのである。
それはIBFという、日本では認められなかった団体で世界王者になった新垣諭を
取材に奈良に行ったときのこと。

新垣が
「僕にあこがれてボクシングをやっている子がいるんですわ」と紹介した。

その新垣は
日本で認めてくれない組織の壁

骨の難病でボルトを入れて、骨をつながなければならない悲劇。

チャンピオンでありながら、不遇の現役生活を続け、
ついに引退を口にすることなくリングを去ったボクサーである。

平仲信明と共にインターハイを制し、もっと日の光のあたる場所を歩いてよかったはずの新垣諭。
彼も友人の息子である名城が、リングでベルトを巻く姿に夢を見ていた。




かつて名護明彦のトレーナーだった杉谷満。
いまは白井具志堅ジムから、具志堅用高のトレーナーだった福田洋二に請われ
福田氏が会長を勤めるFIボクシングジムのチーフトレーナーをしている。

息子二人はおなじグローブでも野球のグローブを持って、甲子園に出場した。

その杉谷がフェザー級のベルトをかけて
チャンピオン、アントニオ・エスパラゴサと闘ったとき、
彼は最高のモチベーションでリングに上がった。

ところが試合前、相手コーナーから目に飛び込んできたのは
子供を抱くチャンピオンの姿だった。

一瞬、自分の子供…という感覚がよぎった。
彼の中に燃えていた炎の勢いが消えていったという。

杉谷はついに世界のベルトを手にすることなく現役生活を終えた。



具志堅用高氏に聞いたことがある。
「どういう気もちで、リングに上がっていたんですか」と。

彼は答えた。
「いつも怖かった。リングに上がる前はいつも怖かった。殺されると思った。
 怖かったからこそ〝殺される前に〟相手に飛び掛っていった」

四角いボクシングリング。
内側の一辺が18から24フィートとされているだけで、大きさに明確な規定はないのだそうだ。

そこはドラマがあると同時に
文字通り「命をかけて」闘う場所である。

私はその場所で、勝った相手の背中に向かって歌を歌ったり、
相手をあしざまに言うような発言をする選手は、好きになれないし見たくもない。



Posted by 家主 at 21:45│Comments(0)
この記事へのトラックバック
★プロフィール★名前:具志堅 用高 本名:具志堅 用高(ぐしけん ようこう)誕生:1955年6月26日(昭和30年)出身:沖縄県石垣島現在:「白井・具志堅スポーツジム」の会長・タレン...
具志堅用高伝説【沖縄有名人情報ネット】【具志堅用高伝説【沖縄有名人情報ネット】】at 2007年03月21日 17:20
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。