2007年10月18日

逆転

入社間もない頃は、随分と無茶なことをした。
夜勤が多かったし、収録番組もあったから、
仕事終わりが午前1時とか2時ということもたびたびだった。

それからカクテルに行く。
店はいつだって、おなじ色合いにおなじ照明だから、外の状況など分からない。

大騒ぎして外に出たら、ランドセルとすれ違うなんてことはしょっちゅうだった。
ランドセルとすれ違ったときは、心が痛んだものである。

ああ、何と言う大人になってしまったんだろう>

だが、また時間が来ると、おなじ色合いと照明の中に溶け込んでいくのである。

最近、早朝に走るようになって、「ランドセル」の立場になった。
朝、歩道に大の字になって寝ている人を見たり、ベンチで寝ている人の姿に出っくわすと、
妙な気分になる。

やはり「夜」の生き物と「昼」の生き物は違うのだなと実感したのだ。

夜行性の生き物は、目が大きくなる。
また、音で相手に悟られては困るから、音を立てない。
ふくろうなどは好例である。
奴らはでっかい目で獲物を見つけ、羽ばたきの音をたてずに標的を捕える。

夜行性の人間も同じである。
目を真っ赤に充血させて、次の店を探すし、
音で同居人を起こしたり近所に「あそこの人はまた朝帰り…」と思われるのは嫌だから
音を立てない。

「朝昼」型の生き物は、自分とおなじ集団とたえずコンタクトを取るため、よく啼く。
「朝昼」の人間も、自分とおなじ集団なのだという意識付けをするために、とにかく挨拶をする。

ランドセルと出会ってしまった夜の生き物は、
間違って浅瀬に浮かんできてしまった、深海魚みたいなものなのである。
光の中で見る深海魚は「怪異」である。

あの時、ランドセルを背負った子供の目には、私たちは「深海魚」だったに違いない。
だが、「深海魚」も年を経ると、「金魚」に変身するものなのである。
変身前の姿を見ているのは、コテツだけなのである。




Posted by 家主 at 20:50│Comments(1)
この記事へのコメント
えーす、すまん、「亀田問題」であと1つ、どーしても言いたい点が、・・
最終12R、のゴングが鳴るのが、約10秒ほど遅かった点でごわす、・・

アウエーで、南米メキシコ辺りのチャンピオンに挑戦する、日本人の試合ならなおしも、日本人同士のゴールデンタイムの生中継の世界戦で、・・・・

まー・・「金平会長」が、ゴング担当なら、・・ありかも、・・・

不可解なる試合運営なり、・・試合自体がすでに中立に程遠き存在なり、・・・


で、本題、・・・繁華街周辺を、寝込み目当てで、深夜ウロウロはいかいするバイク、・・よく見かけまする、・・・中には店との共謀も、・・ありやも?!、・・・・

「海風が心地よく、ランドセルが、朝、夕、安心して登下校できうる、・・・」
「そーいう町の環境整備を地域とともに早急に取り組む所存であります、・」

「あ、・・最近、電線・電柱工事・・んが、多くてご迷惑を、お掛けしております、・・・なんせ、・・なにがなんでやんすから、・・・・・」
Posted by 仲井間。 at 2007年10月19日 13:32
 
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