2011年06月16日
カタカナ
有名な「論語」に出てくる「用字数」は千三百五十五字。
「李白の詩」でも三千五百六十字に〝すぎない〟のだそうである。
教養として識るべき字数はおよそ三千。
広辞苑に載っている「通用漢字」二千九百三十五字が、
「必要」な漢字だと白川静というセンセイはおっしゃる。
いま、そんなに目にするだろうか。
使用する漢字の書体を平易化(簡略)してきた経緯がある。
その過程で、本来漢字が持っていた意味が消し去られ、
単なる「記号」にされてきた。
それだけではない。
何でもかんでもカタカナになってしまった。
「英語」ではない、カタカナである。
「ワーキングチーム」。
どうして小委員会ではいけないのか。
守ることは「古い」というのはマチガイである。
今あまりにも守らなければいけないものが多い。
気取ってる時代ではないのである。
「李白の詩」でも三千五百六十字に〝すぎない〟のだそうである。
教養として識るべき字数はおよそ三千。
広辞苑に載っている「通用漢字」二千九百三十五字が、
「必要」な漢字だと白川静というセンセイはおっしゃる。
いま、そんなに目にするだろうか。
使用する漢字の書体を平易化(簡略)してきた経緯がある。
その過程で、本来漢字が持っていた意味が消し去られ、
単なる「記号」にされてきた。
それだけではない。
何でもかんでもカタカナになってしまった。
「英語」ではない、カタカナである。
「ワーキングチーム」。
どうして小委員会ではいけないのか。
守ることは「古い」というのはマチガイである。
今あまりにも守らなければいけないものが多い。
気取ってる時代ではないのである。
Posted by 家主 at 06:50│Comments(0)