2006年07月05日

カードを切るということ

スポーツも含めてゲームには必ずルールがある。
ルールがあるから成り立つのである。

W杯の準決勝で勝ったイタリアは、延長戦に入って投入したデルピエロが
決勝点を演出し、ダメ押し点を奪った。
ドイツも3枚のカードをすべて使い切ったが、タイミングが合わなかった。

北朝鮮にも2枚のカードがあった。
「核」と「ミサイル」である。
きょう、アメリカの独立記念日に合わせて、そのうちの一枚をいきなり切った。

カードの切り方も問題だが、国際社会も外交というルールの中で成り立っている。
さまざまな国からイエローカードが出された。
一番悩ましいのは、ここまで北の問題に主導的役割を担ってきた中国であろう。
さて、どうするか。

あまりに露骨な嫌がらせをされると、怒りとか驚きを通り越して
他人事と思えるぐらい、引いてしまうことがある。
切り札は、使いどころが重要というのは、
社会経験を積んだ人なら誰でも分かっていること。

あちらは1枚目のカードを使った…残りは1枚。
琉大の我部教授は
「これで主導権は移った。あまり感情的にならず、冷静さをもって対応すること。外交の勝負」
とおっしゃっていた。

次のカードを切るのは日本か、アメリカか…
まずは中国であろう。




Posted by 家主 at 20:38│Comments(4)
この記事へのコメント
ルールというのは参加する者たちが、共有する基準(常識・節度・態度)を兼ね備え、
守ろうという誠意がないと意味がなくなると思うのですが、
北に”共有意識”がそもそもあるのかわたしには疑問に思うところです。
Posted by うずまきメリーさん at 2006年07月05日 22:42
フツウは幼稚園でも「さあ皆さん○○しましょうね」というと、
園児たちもこぞって「ハーイ」と協調した行動をとりますが、
そこまでいっていないケースもあるということなのでしょうか。

ワタシには、保育園で花火を抱え込んで話さない子供に
「○○くん、危ないから返そうね」といったら、
「イヤだァ」といって、
昔、ろしあ君というやんちゃ坊主からくすねたライターで
次々に火をつけてしまった…。

そんな印象です。
Posted by 家主 at 2006年07月06日 11:57
まったくのレッドカードものですが、そんな万国共通ルールの通用しない国(れっきとした?国連加盟国なのに、国の体をなしていないんですから)なのですから困ったもですね。

こんな国の隣に住んでいる日本国民にとっては、国全体をどこかかに移動して逃げ出すわけにもいかずー。

彼らの理屈では日本が植民地にして「搾取した挙句」に戦後はアメリカ帝国主義が我々を追い詰めたのでやむにやまれずこのような行動をとるのだと、いうことらしいですがー。

私の周辺でも「話しても分からない人」をたまに見かけますが、それが個人ならばともかく少なくとも『国』となると厄介なことですね。

そんなことを言っているうちに何時、ミサイルが飛んでくるか分からないのですから。
Posted by 奥野 三好 at 2006年07月06日 16:54
なんでも「独自の理論を展開中」なんだとか(笑)
でもテポドンをまだ打つと言い張っているから、
本当にしゃれになりません。
Posted by 家主 at 2006年07月06日 22:04
 
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